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なぜ届かない沖縄の声 県民大会 沖縄怒りの歴史01

さて、事件を受け、抗議の県民大会が来月19日、オール沖縄県民会議主催で行うことが発表されています。沖縄は戦後から今に至るまで、様々な形でアメリカ軍に絡む事件や事故などを受け県民はその度に抗議の意思を示してきました。

21年前、約8万5000人が集まった県民大会。幼い子どもの尊厳を守れなかった悔しさと怒りが会場を覆いました・・・。1963年5月、信号無視のアメリカ軍のトラックに13歳の男子中学生がはねられ死亡、アメリカ兵が軍法会議で無実となった事件に抗議しました。

それから2年後、1965年6月パラシュート訓練で目的地を外れたトレーラーが民家に落下。庭にいた11歳の女の子が下敷きになり死亡した事件に抗議。

なぜ届かない沖縄の声 県民大会 沖縄怒りの歴史02

2007年9月、沖縄戦の集団自決は軍の強制があったとする記述を教科書から削除修正したことに怒りの声があがりました。2010年4月には、全ての政党が参加し普天間基地の県内への移設に反対する県民大会が開催されます。

2015年5月、辺野古への新基地阻止を訴える県民大会が開かれました。

翁長知事「うちなーんちゅ、うしぇーてないびらんどー」

紹介はできませんでしたが1971年8月のコザ暴動なども、県民の怒りが爆発したものでした。忘れてはいけないのは、一つ一つの大会が、誰もが「これで最後にしたい」という思いで訴えていたであろうというものだったということです。

翁長知事はきのう綱紀粛正や徹底した再発防止などはこの数十年間、何百回も聞かされてきたが、現状はまったく変わらないと、憤りを示しました。