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Q+リポート ランドセルが語るもの

沖縄戦の前の年に起きた疎開船「対馬丸撃沈事件」から今年8月22日で70年を迎えることから毎月22日前後にシリーズでお伝えしている対馬丸リポートです。きょうは、記念館の入り口に展示してあるランドセルが語るメッセージについて感がえます。

長い年月を物語るように、所々皮がはがれた、古びたランドセル。70年前このランドセルを背負っていた幼い姉妹のものです。持ち主は、外間美津子さんと悦子さん。対馬丸で犠牲になった780人の子どもたちの中にいました。ともにやさしくて、明るい女の子でした。対馬丸は深い海の底に沈みましたが、ランドセルは別の船に乗っていて、主のいない沖縄に戻ってきたのです。

Q+リポート ランドセルが語るもの

外間邦子さん「ここですね外間美津子。姉です。二番目の姉。長女と次女ですね。5年生と3年生でした」

二人の姉妹の妹で、現在対馬丸記念館の常務理事を務める外間邦子さん。これまで姉たちの事をテレビで話すことはありませんでした。小学3年生から中学2年生を対象としていた学童疎開。当時、5歳と幼かった邦子さんは、姉たちに置いてきぼりにされる悲しさでいっぱいだったと言います。

外間邦子さん「疎開当日、姉たちが出かけるのに、泣きわめいて、ついて行くと言って、家族を困らせたのは記憶にありますね。」

1944年8月21日、強い日差しが照りつけていた那覇港を外間さんの二人の姉を乗せた対馬丸は出航します。見送ったのは母一人でした。

外間邦子さん「母がどんなふうにしてあの船を見送ったかなというふうに思いはいきますね。」

Q+リポート ランドセルが語るもの

出航から翌日、対馬丸は撃沈され約1500人の人々の命が奪われました。それ以降、邦子さんの母は、二人の姉の事を語らず、邦子さんもまた、翌年の沖縄戦を6歳で逃げ惑うなど、姉たちの記憶は次第に薄れていきました。記憶が再び蘇るのが1976年、33回忌の対馬丸の法要の年、母が遺品として出してきたのが、あのランドセルでした。

外間邦子さん「語らないからいっぱい語らないところから私は母の語りを自分なりにいっぱい受け取った感じがする。」

那覇市にある「対馬丸記念館」多くの人々が訪れ、子どもが犠牲になった戦争を今に伝えています。この日も、修学旅行で奈良県の中学生が訪れていました。

Q+リポート ランドセルが語るもの

外間邦子さん「(ランドセルを)背負っていたみっちゃんえっちゃんは対馬丸に乗ってそして8月22日に亡くなってしまったから。このランドセルはきっと今、みっちゃんえっちゃんを探しているかもしれないね」

中学校女子生徒「小学校の時に何気なく背負っていたランドセルが、その何十年も前のランドセルとは思いが違うなって思って」

ところで、対馬丸記念館には、事件の悲劇を伝えるパネルなどの他に、当時の子ども達が受けていた「教育」を考える展示があります。

外間邦子さん「みっちゃんえっちゃんたちが言いたかったものが、あのランドセルに詰まっている感じがして、私はそういう捉え方だから中身が大事」

みっちゃんえっちゃんのランドセルの中身。それは、いったいどのようなものだったのか。当時の軍国主義を背景にした教科書は、子どもといえど、戦争を支える「少国民」という位置づけを明確にしています。当時の教育に詳しい沖縄大学の新城俊昭客員教授は対馬丸の疎開そのもにも国家の思惑があったと見ます。

Q+リポート ランドセルが語るもの

新城俊昭客員教授「国家のために命を捧げる。という教育ですね。子ども達はまだいわゆる少国民でまだ小さくて、国のためにきちんと尽くせないということで疎開をするんですけれども、それは、この子達の将来の幸せを果たして願ったものだったのか。あらたな戦争に参加させるものではなかったかと思わざるを得なくなってしまうんですね。沖縄の現状を考えた時に。」

また、新城さんは、戦前の教育の問題は、現在の竹富町の教科書問題にも通じる部分があると警鐘を鳴らします

新城俊昭客員教授「今一番心配なのは、教育に国家権力が介入しちゃいけないという大前提があるにも関わらず、特定の教科書を使いなさいと指導してくる。それはとても怖いことで、それはやがて(教科書の)内容にもかかわってくるんじゃないかな。」

対馬丸記念館に飾られている「詩」には亡くなった780人の子ども達の「夢」への思いが綴られています。今、私たちは、亡くなった犠牲者の「夢の末来に」生きていると

奈良県・田原本中学校男子生徒「自分よりも小さい子どもがこんな沢山の子どもがなくなっていることにだいぶショックを受けました」「今はだいぶ平和だから、今みたいな平和が築けるんだったら、もっと前からそうしていたらと思いました。」

Q+リポート ランドセルが語るもの

外間邦子さん「このランドセルを通して戦争ということをこれからも子ども達が向き合っていけるのは本当の意味での平和というのを叫び続けるのは私の姉達。」

二人の姉妹のランドセルは今から38年前、33回忌の年、泊小学校の門をくぐり、母校に帰ってきたということです。疎開による悲劇だけに目がむけられますが、あのランドセルの中身が、今の私たちに警鐘を鳴らすものは何かじっくり考えたいですよね。VTRに出てきた新城さんは、物事は極端には変わらない。だからこそ、その変わり目を嗅ぎ取る力を私たちは持たなければならないとも話していました。