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ことしの慰霊の日、65年前の祖父の戦争体験を想い、平和の礎の前で、詩を朗読する女の子の姿がありました。

奥間友芽子ちゃん「祖父が8歳の時、戦争があった。米軍の上陸が確実になって、小禄から二日かけてのやんばるへの避難」

上江田盛新さん「山の中で8月まで戦争終了まで、5ヶ月間ずっといたんですよ。」

上江田盛新さんの父親は、防衛隊員として3月に召集。日本軍の指揮の下、南部での弾薬運搬を命じられました。上江田さんや家族は父と別れ、敵の攻撃におびえながら、山の中での避難生活を続けたのです。

上江田盛新さん「私は一緒に山に逃げようと言ったけれど、親父は自分の任務を果たしてくると言って、それっきり帰ってこない。」

65年前、沖縄戦で亡くなった父や姉、そして辛かった時代を忘れまいと上江田さんは毎年孫たちを平和の礎に連れてきます。

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孫の友芽子ちゃんはことし上江田さんの記憶を詩に書きとめ礎のまえで朗読したのでした。

奥間友芽子ちゃん「平和の礎に刻まれている人たちは、歴史の中では名もなき人々だ。でも、その多くの名もなき人々の犠牲があって、今の私たちがいる。私は忘れない。祖父の父のことを。私は伝えたい。祖父の父のことを。平和であることの大切さを。」