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65年前のきょう、久米島では日本軍に徴用されていた船が撃沈され、住民たちが必死の捜索に当たっていました。

軍需物資などを運ぶ徴用船として那覇と久米島を結んでいた嘉進丸は2月6日、久米島の真泊港を学生を含む一般住民30〜40人を乗せ出港。

乗船者には、従軍看護婦として那覇へ向かう宮城八重さんも乗っていました。

八重さんの妹・糸数トミさん「(Q:八重さんの写真はないんですか?)いっぱいあったが(姉が)みんなむしりとった。(死を覚悟した姉は)お母さんやお父さんには(写真を)見せたくないといって、夜中にちぎった。すぐ朝の9時の便で(出航した)」

様々な目的の人たちが乗り合わせた嘉進丸は、出港してから、すぐ港から見える場所でB24によって撃沈されました。

糸数トミさん「その日は、もう島は騒動。きれっぱしも何も流れてこない」

仲里村の住民たちは船を出し、3日間にわたって捜索しましたが、乗客の遺体は誰一人見つかりませんでした。

糸数トミさん「港から拾ったさんごのかけらを白い布に49個いれて墓に埋葬した」

民間人がなぜ軍需物資とともに沈められなければならなかったのか。戦時機密とされた「嘉進丸の事件」の資料は、ほとんど残されていません。