※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

PTSDという言葉を良く聞くと思いますが、大きな心の傷を受けた後に現れるストレス障害をさします。レイプや虐待などのほかにも、戦場に行った兵士たちの「戦争PTSD」が、欧米では第1次世界大戦以降注目されるようになりました。

一方日本では、戦争がもたらした心の傷を精神医学的に捉えていく試みが立ち後れ、個人的に苦しみを抱えていくお年寄りが多いということです。戦争体験が沖縄社会にどんな影を落としているのかを考えます。

News Photo

山城紀子さん(フリージャーナリスト)「何故、この沖縄の地で人々は苦しんで苦しんで心の病を発症したのか。それが沖縄戦とどういう関わり合いがあったのか。これから捉えていく問題なんだと思ってます」

戦後、置き去りにされた心のケアの問題を社会全体で考えようと、医師やジャーナリストの呼びかけで市民講座が開かれました。

News Photo

1960年代の県の調査では、沖縄の精神障害者の有病率は本土の2倍。しかし医者の数が戦前の1/3の60人になってしまった沖縄で、精神医学は後回しにされてきた経緯が報告されました。

蟻塚医師「お母さんが機関銃で射殺されて、一晩、お母さんの背中にくくられたまま泥水の中で泣いていた。5歳の時のこの記憶が70歳になっても切り取ったように覚えている」

蟻塚医師は、心療内科を訪れる高齢者の「不眠症」や「うつ」などの裏に、沖縄戦が潜んでいるケースが多いことを報告。

News Photo

蟻塚医師「80代の女性で、足の裏に灼熱感があってつらい。この方は14歳の時にお母さんと一緒に死体の上を走って逃げた。その死体を踏んだときの感覚というのが甦ってきて、足が痛いのは死体の上を歩いたからだと自分を責めた」

その女性は、戦後は教育者として生きた内原さん。生き延びたことに罪悪感を感じ、平和運動にも力を入れますが、足の痛みで10年あまり寝たきりになりました。

内原さん「足が痛くて痛くてたまらない。それでも我慢してると涙が出てくるんですよ。私は戦争の時に、人間としてやってはいけないことをやったという思いがあります。母親にしがみついて泣いている赤ちゃんがいるのに、この赤ちゃんを救わなかった」

News Photo

蟻塚医師は、患者同士で戦争体験を共有するセッションを開いています。不眠症を抱えるこの日の患者さんたちは、みな10歳前後で戦争を体験。断片的な記憶だからと、あまり戦争について語らないできた世代です。

大城さん「大体あれじゃないですか。もう、戦争のこと思い出すという場合は年取ってから。ひどくなりますよね」

蟻塚医師「年取ってから思い出すようになった?寝れなくなってから?」

前川さん「ちょっとゆとり出てから、そうなっている気がしますね」

News Photo

蟻塚医師は、幼児期の戦争体験が晩年に発症するメカニズムをこう説明します。つまり、仕事や家庭を支え、必死に生活する時期には片隅に追いやられていたものが、老後ゆとりのできた心の中で暴れ出す。その不安の正体が戦争体験とは、本人も気づかない例が多いのです。

また、大人はつらい経験を言語化することで徐々に記憶のファイルに移していきますが、言語化できない子ども達は正体不明のストレスとして抱えこんでいくため、断片的でも言葉にする試みは大事だといいます。

蟻塚医師「記憶しすぎて眠れないってことなんだけど、その記憶が収まるべきところに収まっていくとすーっと消えていく。嘘みたいに。もう、病院に来なくなりますよ」

内原さんは、蟻塚先生と話すうちにずいぶん楽になったと言います

内原さん「今はもう、ああ生きていてよかったという気持ちになっています。本当にこれは先生のおかげですね。どうすれば事故死することができるかって」

蟻塚医師「死ぬこと考えていた?」

内原さん「死ぬこと考えてました。先生にあった頃はね」

大城さん「しかしよ先生。おしゃべりはしようと思ってもね、キライです。締め付けられるようにして。もう、急にまた気持ちがわじわじーすることもあってね」

前川さん「今、睡眠剤飲んでいますけど、これなんだか効かないような気がしますね」

一番言葉が少なかった前川さん。6年生の時、南部にあるこの家から、さらに南を目指して家族で逃げました。目の前で母とおば、6歳の妹が爆死しました。

News Photo

前川さん「妹はお腹やられて、腹わたみんな出ていたね。即死。そのままうっちゃなげて逃げてきたよ。年をとるにつれて思い出すわけ。母が死ぬときにはおかゆもなんにもあげないで死なせたなあと思う。大変残念で」

残った男ばかりの家族の炊事係を引き受けがら、必死に働いた前川さんは酪農で成功、農業委員も務めました。そして去年、念願の家族の墓も完成。そんなほっとしたところで、想像もしない心の病に襲われたのです。

妻・ヨシ子「神経質かな。あんまり悪いこと考えずいいことを考えて休んだらいいよって言ってるけど、聞かないさ。性格だから」

ようやくゆっくりできるはずの晩年期に現れる戦争PTSD。「不眠症」や「うつ」の治療だけではなく、この世代が抱える戦争トラウマを社会全体で理解する事が解決の早道と蟻塚医師は指摘します。

蟻塚医師「あ、そういえばうちのおばあちゃんもとか、向いのおじいちゃんもとかね、同じ症状を持ってる人は沖縄中にいっぱいいると思う。戦争犠牲者でしょうが。個人の原因ではなく、戦争によるものだっていうことがわかると救われる人がもっと増えると思う」

今の70代とか当時幼かった方が、実は晩年にPTSDに苦しむというのは認識を改める必要があります。でも「あの時こうすれば」と今も思い返すことは、本当にキツイでしょう。

広島の原爆PTSDの専門家がおっしゃるには、時間がたつと、いわゆる恐怖体験よりも「助けられなかった」という自責の念が長く体験者を苦しめるんだそうです。蟻塚先生は東日本大震災の子ども達の60年後を救うためにも、沖縄で社会全体がPTSDを克服する前例を作れればと話していました。