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語り継ぐ沖縄戦2011、2回目のきょうは、久米島での戦争を考えます。

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久米島では6月23日以降に住民を虐殺する事件が相次いで起こりました。当時を知る人が減る中で、今だから語れる証言を基にこの住民虐殺が起こった背景を考えます。

島では、6月23日以降も戦争は続きました。

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盛元さん「首に紐をくくって道は、こっちから海岸のところへ引っ張っていて見せしめの為に引っ張っていったという風に言われています」

アメリカのスパイだとして住民を虐殺する日本軍。ずっと沈黙を守っていた島の人たちが、去年ようやく当時のことを語り始めました。

喜友村さん・譜久里さん・喜久永さん「(敗戦を知らない友軍は)アメリカにひいきする奴はやるよ(殺すよ)という状態だったですからね。日本は、勝つとしか考えないから。疑心暗鬼でですね。人を信用できなくなるわけですよ」

当時、久米島で指揮をとっていた鹿山隊長は、住民たちに命令文を出し監視していました。

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『アメリカ軍と接触したものが、帰ってきた直ちに軍駐屯地に引き渡すこと。その命令に違反したものはスパイとみなしその家族はもちろん警防団長区長は銃殺する』

アメリカ軍が海岸から上陸すると、日本軍は住民に対し不信感を抱き、厳しい目を向けます。そして20人の命を奪いました。

久米島には住民1万人に対して、日本兵はわずかに30人。全ての住民がアメリカ軍に取り込まれるのではと恐れた日本軍の猜疑心が虐殺へとつながりました。

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宮平さん「軍隊服は着ないで普通の住民の服を着ているから、だれが兵隊かわらない。だからそれが怖かった」

さらに、日本軍はスパイを養成する陸軍中野学校の卒業生を教師として住民の中に潜伏させ、諜報活動をしていました。

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上原敏夫(本名:竹川実)は1945年1月に久米島の具志川国民学校に赴任。村長の娘と結婚し、住民たちからも厚い信頼を得ていました。

上原先生の任務は「アメリカ軍に情報を流出させないこと」。つまり、住民たちをスパイにさせないよう見守ることでした。

島袋由美子さん「鹿山隊長が山から降りてきて役所とか農業会でいろいろ用事をして、帰りはそこ(上原先生のところ)に寄ってずっと話をしたり、そういうことはやってましたって」

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上原先生の下宿には、当時、鹿山隊長が頻繁に訪れ情報交換をしていたと言います。

6月14日の警防団日誌。上原先生の名前で、アメリカ軍が上陸した場合、どのような警戒をしたらいいかなど、鹿山隊長との打ち合わせが記入されています。

国民学校で上原先生の同僚だった譜久里藤江さんは、学校内に置かれていた上原先生の不思議な荷物を記憶しています。

譜久里藤江さん「座ろうとしたら、それはご先祖の位牌だから座るなといわれて。ご先祖の位牌に座ったりしたら不敬ですよね。だからびっくりして。多分あれ(手榴弾)じゃないですかね、島の人が降伏したらあれだということで」

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アメリカ軍が上陸すると住民から情報が漏れることを恐れた上原先生。譜久里さんにだけ、こんな計画を吐露しました。

譜久里さん「久間地の部落に集結させて玉砕させると言いよった。自分の家族を犠牲にしたくないから、会わないようにした」

譜久里さんは66年間、胸にしまっていた思いを話してくれました。

譜久里さん「あの時は、もう本当に軍国少女だから。ずいぶん尊敬していました」

譜久里さんは軍国少女として、命を投げ出して戦おうとする上原先生に憧れ、鹿山隊長へ尊敬の念を抱き、日本軍にも率先して協力していました。

しかし、自宅近くにアメリカ軍の兵舎が設営され、小さな姪にアメリカ兵が缶詰や菓子を渡したとたん、その思いは裏切られます。

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譜久里さん「米軍と接触したということで(日本軍の虐殺)リストに載ったわけです。うんと山の兵隊に協力したのに(虐殺)リストにあがっているんですよ。あと2日後にやるということで」

アメリカ軍の兵舎が近くにあった譜久里さん一家を含め、9件の家族が2日後に虐殺されることになっていたのです。

日本軍に協力して裏切られ、アメリカ軍と接触したといって虐殺される譜久里さんは戦争の不条理さを嘆きます。

譜久里さん「もう二度と戦争は起こすな。もうこれ以外はないです。人間が人間でなくなる」

今回取材を通して感じたことは、戦争というのは急に来るものではなく、徐々に組み込まれていくもの。いざ戦争になってしまったらいくら平和を訴えても遅いということと、誰も守ってはくれないということでした。そうならないためにも、社会を見る目、教育はどんな方向に向かっているのか、マスコミの報道はどうなっているのか、それぞれが注意深く監視することが求められています。