首里城復元の歩みを伝える「復興のキセキ」ここからは玉城アナウンサーです。
正殿の一般公開まできょうで90日となりました。着々とその日が近づいていますが…今回は、復元で使われている県産の素材に注目します。産地となった3つの島へ行ってきました。まず訪れたのは、観光客でにぎわう宮古島です。
玉城アナウンサー「宮古島といえば、このどこまでも広がる美しい海。木材の産地という印象は、あまりないかもしれません。ところが、令和の首里城正殿には、宮古産の木が使われているんです」
今回の復元で宮古産の木材を搬出した、宮古森林組合を訪ねました。
宮古森林組合 下地雅輝さん「首里城に使われたのが大体あれぐらい。大体、直径33cm、高さが4.5mとか」
並んでいるのは、チャーギの呼び名で親しまれる”イヌマキ”。湿気や水に強く、古くから建築材として使われてきました。なぜ宮古で、大きなイヌマキが育つのか、その理由のひとつが…。
宮古森林組合 下地雅輝さん「イヌマキの葉っぱを食べる害虫、キオビエダシャクというものが宮古には今はいない。昔は一時 入ったらしいが、先輩方がみんな駆除して無事(キオビエダシャクが)いなくなったことで生育に影響なく、どんどん育っているような状態」
海のイメージが強い宮古島ですが、森を守り・育てる取り組みも続いていて、下地さんたちは、元々ある森林を手入れしながら、イヌマキなど土地に適した木を植えています。
その積み重ねが感じられる場所があります。約(およそ)40年前に3千本ほどのイヌマキの苗木を植えた森です。2017年には、文化財の修理に使う木材を将来に残すため文化庁が取り組んでいる「ふるさと文化財の森」に県内で初めて設定されました。
宮古森林組合 下地雅輝さん「宮古産の木材が(正殿に)使われているというのは本当にすごいことだと思うし頑張って管理して 今後につなげていけるようにしっかりと守っていきたい」
先人が植えた木を、未来へつなぎます。この後お知らせを挟んで日本最西端の島で採れる”あるもの”にスポットを当てます。
日本最西端の島、与那国島。この島も、古くから首里城とのつながりを持っています。訪ねたのは、島の歴史や文化に詳しい、与那国町教育委員会の村松稔さんです。
与那国町教育委員会 村松稔さん「龍柱の元になった石の採石場、行ってみましょうか」
正殿の正面に立つ龍柱は、阿吽の龍を柱に見立てた、首里城を象徴する石彫刻です。また、その他 令和の復元では多くの石工事で、与那国産の石が使われています。
玉城アナウンサー「大きな石がありますね」
与那国町教育委員会 村松稔さん「ゴロゴロ ゴロゴロ、こういう巨大な砂岩が出てくるのでいろんなサイズや形を選んで持っていっていましたね」
与那国で採石される細粒砂岩。島の言葉で「フルシ」または「フリシ」と呼ばれ、水を通しにくい性質があります。
与那国町教育委員会 村松稔さん「水の豊富な与那国島はなぜあるかといったら、この砂岩からなる島というのが一つ大きな要因」
島では、その特徴を生かし、昔から、水をためる石たらいなどとしても使ってきました。
このフルシで作られた大龍柱。2019年の首里城火災では、がれきと化した正殿跡地に 立ち続ける様子から“奇跡の龍柱”とたたえられ、復興のシンボルになりました。
与那国町教育委員会 村松稔さん「首里城が焼けてしまった時に、それはやはり県民としては悲しいことかもしれないが、龍柱はすくっと立ってたわけですよね。火事にも負けずに、(建物)本体はなくなってしまってもそれを見た時に(当時の)教育長が『これは与那国の石だよ』って。八重山は首里王府に人頭税を毎年のように捧げる身でもあったし。でもそういった首里城(の一面)これを機会に、自分たちの島の歴史を改めて考えてほしいとよく言っていたのが印象に残っている」
歴史を振り返ると、与那国だけでなく、先島の島々と首里王府との関係には、重い負担を伴った時代もありました。
令和の復元で、再び首里城へ送り出されたフルシ。本島に運ばれた後は、石工が丁寧に加工し…、
搬出からおよそ3年半を経てこの夏、正殿の前に帰ってきました。
与那国町教育委員会 村松稔さん「僕たちの島から行った龍柱を見て会いに行くような気持ちで 見ていただけたらうれしい」
VTRでも紹介しましたが2023年、与那国ではフルシを送り出す際イベントが開かれ木遣りと呼ばれる歌と踊りが披露されました。これは、昔の映像を手がかりに島の女性たちが練習を重ね、実現したのだそうです。首里城の復元が、伝統継承の場にもなったんですね。
その踊りの指導役となった方は、「地元の石が使われるのは喜ばしく力になった、完成したらみんなで見に行きたい」と話していました。
そして最後は、久米島です。首里城を彩る「赤」をたどりました。
玉城アナウンサー「首里城を印象付ける鮮やかな赤。その色味を表現するために欠かせない素材のひとつが、この久米島の足元にあります」
手がかりを求めて訪ねたのは、久米島紬の里「ユイマール館」です。国の重要無形文化財にも指定されている久米島紬。フクギやソテツなど…身近な自然の素材を使って糸を染め、すべて手作業で織りあげます。
図案の選定から織りの全工程を一人の織り手が担うことでも知られています。その糸の染色の材料として近年新たに、取り入れたものがあるということで見せてもらいました。
久米島紬事業協同組合 副理事長 山城智子さん「こちらにあるのが久米の赤土という赤土で染めた織物になっています」
土で淡いオレンジ色に染めた糸で織られたこの反物。山城さんの作品です。
久米島紬事業協同組合 副理事長 山城智子さん「土染めは 少し柔らかい 優しい感じの色合いに染まる」
今回、特別に島でもごく限られた人しか知らないという、久米赤土の採取場所を案内してもらいました。
久米島紬事業協同組合 副理事長 山城智子さん「赤土です。久米赤土と言われている。結構赤めの土が」
実は、この土と首里城の「赤」には深いつながりがあります。
一見、同じ色のように見えますが、正殿には3種類の赤が使い分けられています。大部分を覆う「久志間切弁柄」正面の柱を彩る「唐朱(とうしゅ)」そして、連子(れんじ)に使われるのが、久米島の「久米赤土」です。
王国時代の記録には、久米赤土を首里へ納めた記述が残っています。これをもとに、平成、そして令和の復元でも、正殿を彩る赤の一色として使われました。
久米島紬事業協同組合 副理事長・山城智子さん「私たちも島の自然の恵みをいただいて久米島紬を織っているので、久米の赤土が首里城に使われているということは本当にうれしいですね。島の誇りというか、宝ですね」
宮古の木。与那国の石。そして、久米島の土。それぞれの島の自然と営みが、令和の首里城を形づくっています。
素材をたどると、それぞれの島とのつながりが見えてきますね。
ただVTR中にもお話がありましたように、島々と琉球王国、首里の歴史は、決して明るい面ばかりではありません。重たい税負担に苦しめられてきた時代もあります。
新しい正殿を見る時、建物を飾る制作物に注目するかと思いますが送り出した地域はどこなんだろう、どんな歴史を歩んできたんだろうと思いを巡らせると沖縄に対する理解もまた深まるはずです。
そうした背景にも目を向けたいですね。「復興のキセキ」でした。
