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こんにちは、きょうは慰霊の日、各地で追悼の祈りがささげられていましたが、ひめゆりの塔のすぐ近くで天気予報に関わる人たちの追悼式がおこなわれました。

糸満市伊原にある琉風の碑。沖縄戦で犠牲となった当時の沖縄地方気象台職員や気象関係者73人の名前が刻まれています。

毎年慰霊の日には、琉風の碑で追悼式が行われており今年で51回目です。私も初めて参加させていただきました。

戦時中、当時の職員たちは、地上戦が激しい中毎日観測を続けていたようです。沖縄戦が始まったころは気象情報は軍の機密事項として扱われ、ラジオ、新聞からは天気予報が姿を消しました。

その後も観測を続けていましたが、このときの気象台の仕事は九州から沖縄に飛び立つ特攻隊のために気象情報を送信するというものでした。ただ、その観測も特攻攻撃が終わる2日前に途絶えました。

このように当時の天気図を見ると、那覇の情報が消えています。6月20日にある那覇の観測も、翌日には記載がありません。この日まで命がけで最後まで観測していました。当時職員だった方のご遺族からお話を伺いました。

田中満さん「(戦時中)最後まで自分の任務を全うし気象庁の方に」「『これが最後です』と通信を(電報で)打って、これが最後だった」「(父は)自分の任務を全うするよう頼まれたら嫌と言えない男気のあるとに聞いている」「毎年、お参りさせてもらうと、やっぱり心がやすまる」「皆さまが慰霊していただいたら亡くなったみんなも喜ぶと思う」

眞境名会長「(現在は)戦争に繋がりかねない、世の中にあってはならない」「琉風の先輩が命をかけて守った平和の尊さ、それを伝えるのが一番大事かなと思う」「戦争はなんのメリットもない」「そこを一番伝えたい、命ぬ宝それに尽きる」

今では当たり前のようにテレビやネットで見れる天気予報ですが、それはいま、日本が平和な証拠です。天気予報が当たり前に届く日常の大切さをあらためて感じました。