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丸木位里・俊夫妻「沖縄戦の図」14枚の絵に込められた思いとは


慰霊の日の特集です。広島に落とされた原爆や南京大虐殺など、戦争をテーマにした絵を書き続けた画家・丸木位里、俊夫妻が1980年代に作り上げた「沖縄戦の図」全14部が2年ぶりに宜野湾市にある佐喜真美術館で展示されています。

そして、その二人が6年という月日を費やして全14部にわたる絵を制作していく姿を追ったドキュメンタリー映画も公開されています。

物言わぬ「沖縄戦」の絵画が何を伝えようとしているのか、そして、私たちがそこから感じ取るべきこととは何なのか?丸木夫妻のことを知っていて映画の製作にも携わった佐喜真美術館の館長の話をもとに考えます。

原爆など戦争がテーマの絵を描き続けた画家・丸木 位里・俊夫妻が手がけた「沖縄戦の図」全14部が2年ぶりに宜野湾市佐喜真美術館で展示されています。

そしてそのふたりが6年をかけて全14部を制作していく姿を追ったドキュメンタリー映画も公開中です。絵の中で語り続ける沖縄戦映画の制作に携わった佐喜眞美術館佐喜眞館長にお話を伺いました。

映画「丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部」河邑 厚徳監督「丸木伊里、丸木俊、という2人の最晩年の沖縄のこの6年を掛けた仕事の意味、重さ、そして描き終えた時点から数えて30年40年経っているがまったく過去のものではなくて、今を伝えている」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

「沖縄戦の図」縦4メートル、幅8・5メートルの巨大な作品に描かれたのは家族や親類同士で命を絶った「集団自決」追い詰められて血で染まった海に沈んでいく人々、逃げ惑う女性や子どもたち。

沖縄戦の図は、1982年から87年にかけて画家の丸木位里(いり)・俊(とし)夫妻が沖縄に通い続け、地上戦の現場を回り、体験者の話に耳を傾けながら完成させた14部からなる作品です。

寺崎未来アナウンサー「私ほんとに目の前に立った瞬間こんなことがほんとにあったのかと思うくらい言葉を失って」「この絵を描かれた丸木夫妻と初めてお会いした時の印象について伺いたい」

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「(丸木伊里さんは)縄文杉のような人だなと瞬間思いましたよ、丸木俊さんとお話しした時は表情を見まして、年をとっても幼い心を失わないようなおばあちゃん、童女かな、そういうかわいいおばあちゃんの印象だった」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「丸木さんはこの作品から入っていくんです、一番最初に描かれた絵です。これは日本兵が沖縄県民を虐殺しているわけです」

作品「久米島の虐殺(1)(2)」

沖縄戦の図、始まりの2枚です。久米島では日本兵による住民虐殺が6月23日以降4件発生し、20人が命を奪われました。

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「沖縄戦というのは軍隊は住民を守らない。軍隊は住民を守る組織ではないと証明してしまった。戦争とよく言われますけど、そのことを完全に証明しています」

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「本筋から入っていく、日本人はこういう悪いことをしたんだと非常に明快な態度といいますか、日本の戦争の語りの中ではないですね」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

作品「亀甲墓(3)自然壕(ガマ)(4)喜屋武岬(5)集団自決(6)暁の実弾射撃(7)ひめゆりの塔(8)」

「今まで描いた8枚の絵に込めたテーマを活かし、あらためて沖縄戦を凝縮する大作に活かそうと制作を進めた伊里、要するに汚せば絵になる、勇気がいるんですよ思い切ってやらなきゃ手が大きくなろうが、短くなろうが、長くなろうがいいんです」

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「沖縄戦という、この世の地獄を全部集めてもこんなひどくはないだろうと、それから汚しゃいいんだよと仰っていた非常に思いきって描くとか思い切ってワッと描くんです、ものすごく準備していて描くときは一気に描く」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

作品 沖縄戦の図(9)

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「これは沖縄戦を決定した政治家一人も描いていません。沖縄戦を遂行した軍人1人も描いていません。描いているのは女性と子どもとお年寄り。すなわち一番戦争でひどい目にあった殺された人たちです。そこから戦争を見なければ戦争の真実は見えてこない」

寺崎未来アナウンサー「勇気がいる。思い切ってやらなきゃ というふうに語っていた」「沖縄戦を描くのはそうとうな覚悟が」

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「やっぱり日本の近代歴史の全体を問題にするくらい意識がある。アジアへの侵略の結末が沖縄戦だったという考え」

作品「きゃん岬(10)」「ガマ(11)」「チビチリガマ(12)」「シムクガマ(13)」

映画から沖縄に来て村人も参加する開かれたものになった(おばあたちがモデル)

40年間の沈黙がとけ体験者がようやく語り始めたました。

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

丸木俊さん「はい、ありがとうございました」

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「あの悲惨な戦争だけど、みんながこんなに語る。それは悲惨だけど大事なこと。それを語り継ぐだけの非常に高い文化がある沖縄にゾッコン惚れ込んで沖縄の人を大好きになった」

作品「残波大獅子(14)」

最後の14番目の絵ですね。戦後一貫して戦争の絵を描いてきた二人いつかは希望を描きたいと願っていました。

佐喜真美術館 佐喜眞道夫館長「この絵は沖縄県民がトラウマを抱えている様な話を証言してくれて、モデルになってくれてこんな重要な大きな仕事ができたことを”ありがとう”という意味合いがある気がします」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

悲惨な戦争体験を語り継いでいくその精紳が立っている生き方そこの青年たちはものすごいエネルギーを持っていることを太鼓の音で確認できたそれを丸木さんはほんとに号泣しながら喜んでこの絵を描いたと聞いてます。

壮絶な沖縄戦で生き残った人々との共同制作で丸木夫妻の「沖縄戦の図」は完結しました。絵を通して一人でも多くの人が戦争の悲惨さを感じてくれたら丸木夫妻の願いが込められています。

女性「言葉でもなく絵で目から入ってくる。描いた人の想いだとかが伝わる。伝えていくことで大きな力があると感じた。

小6の女の子「(戦争は)自分の心が崩れていく、とても怖い呪いみたいなもの。怖い絵ばかりだけど、その中にはやっぱり戦争は絶対だめだという強い気持ち描いた人の心がこもっていて見た人が伝えていかないといけないと思いました」

戦後78年2 物言わぬ絵画が伝える沖縄戦

寺崎アナウンサー「沖縄戦の図」の中央には、瞳を持つ三人の子どもが描かれている。丸木夫妻は、何ものにもとらわれず真実を見通す子どもたちの瞳に、未来への希望を託したのではと館長は仰ってました」

丸木位里・丸木俊《沖縄戦の図》全14部 展は、来年1月29日(月)まで。

映画「沖縄戦の図 全14部」は桜坂劇場で公開中です。ウェブサイトで上映スケジュールをご確認ください。