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戦後77年経ってもなお、地中に潜む「不発弾」に、私たちの生活は脅かされて続けている現状があります。過去には、爆発事故で尊い命が奪われるという悲劇もありました。安全を取り戻すために、多くの人と費用が割かれていて、沖縄戦が残した爪痕の大きさを物語っています。自衛隊による不発弾処理を通して、沖縄に横たわる見えない脅威について考えます。

戦後77年、今なお県民の生活を脅かし続ける負の遺産。

県民「怖いですよやっぱり。大きくても小さくても。いつになったら、解除できるのかなと思いますね」

恩納村 長浜善巳村長「人命にですね、関わることがあれば大変怖いことでございます」

「鉄の暴風」が残した「不発弾」。沖縄の地中に眠る「無言の脅威」から目を背けてはいけない。

復帰50の物語 第9話 沖縄に横たわる「無言の脅威」

20万トン。沖縄戦で投下された爆弾の数です。そのうち、1万トンが不発弾として、置き去りにされました。復帰前には、1927人の死傷者が出ました。復帰後も後を絶たない不発弾の悲劇。1974年に那覇市で起きた「聖マタイ幼稚園の事故」は、戦争がまだ続いているとさえ思わされるほどの衝撃が走りました。

戦後77年が経っても残り続けている「無言の脅威」を取り除くため、本土復帰以降は陸上自衛隊・第101不発弾処理隊が中心となって処理を進めています。

2月27日 那覇市・避難を呼びかける様子「おはようございます。那覇市の防災危機管理課なんですけれども、きょう不発弾の処理があるので、お早めに避難をお願いしたいのですが」

那覇市首里にある大名市営住宅では、2カ月前にアメリカ製5インチ艦砲弾が建て替え工事の最中に見つかりました。この日は、処理現場から半径88メートルの区域内に住む280世帯、およそ620人に避難指示が出されました。「5インチ艦砲弾」は海上から打ち込まれたもので、沖縄で最も多く安全化処理される不発弾の1つです。

Q:家の近くで不発弾が見つかることについてどう思いますか?近隣住民「怖い」近隣住民「怖いですよやっぱり。小さいよと言われても分からないですよね、大きさも実際は見てないから。またいつどこから(不発弾が)出てくるか分からんさあね」

午前10時33分、作業終了。不発弾処理のために8つの関係機関から68人が集まる。

復帰50の物語 第9話 沖縄に横たわる「無言の脅威」

2月28日。恩納村不発弾が見つかるのは、激戦地となった南部とは限りません。今回、出てきた不発弾は爆発を目的としたものではく、煙を出して視界を遮る「発煙弾」でした。なかに入っている「黄リン」は、空気に触れただけで自然に発火する性質があるうえ、人体に有毒なため危険性が高い化学物質です。この日は、ディアマー方式という安全化の方法で処理されました。

第101不発弾処理隊 坂本圭介副隊長「不発弾に対して垂直、90度の方向からこのディアマーを(爆弾の)先に、パイプの力で鉄の芯を飛ばしてしまうと。この信管が作動する前に、信管を壊してしまうという方法を取っています」

恩納村での不発弾処理は11年ぶりです。

恩納村 長浜善巳村長「沖縄戦において艦砲射撃がこの恩納連山に、たくさん発射されたと聞いております。戦後77年たった今でも、このように発見されたということは、大変驚いているところでございます」

3/9自衛隊によって安全化された不発弾は、最終的な爆破処分の前に、「あるところ」に移動されます。

復帰50の物語 第9話 沖縄に横たわる「無言の脅威」

第101不発弾処理隊 山上紘平2等陸尉「県が管理している不発弾保管庫になっております。中は、爆弾とか安全化処理を行った、弾薬が保管されています」

読谷村にある不発弾保管庫です。厳重な二重扉で守られている、薄暗い物置きのようなつくりで、温度や湿度が管理されています。

第101不発弾処理隊 住田翔太朗3等陸曹(Q:長さどれくらい?)A:「長さは約137(cm)ほどあります」

中には重さ600キロの14インチ爆弾など、大型の不発弾もありました。こうした保管庫は他にも、宮古島、石垣島とあわせて県内に3カ所設置されています。

沖縄と埼玉で不発弾処理に携わって12年、県出身の大宜見朝也2等陸曹「私も不発弾処理隊に配属されるまでは、こんなに出ていると知らなくて、正直びっくりしたところがあります。沖縄は地上戦が行われたところで、艦砲弾が非常に多くて、関東の方だと焼夷爆弾とか(が多い)」

復帰50の物語 第9話 沖縄に横たわる「無言の脅威」

不発弾処理のため自衛隊が出動した件数の最新データを見てみると、沖縄は全国と比べて段違いで多くなっています。2020年度、全国で実施された不発弾の識別といった緊急出動が627件で、そのうち76%にあたる476件が沖縄で発生したものです。また、特に危険な不発弾をその場で処理した回数は、37回中30回が沖縄で行われていて、全体の81%に上ります。

第101不発弾処理隊 佐藤景一隊長「不発弾は場所は変わりません。その土地をいかに開発するかによって発見される度合いが変わってきます。したがって、まだ未開拓の地、山や森の中は歩くだけで出てくる可能性というのはたくさんあります」

これまでに不発弾が見つかった地点をまとめると、本島中南部を中心にほぼ全域から出ていました。沖縄戦で「鉄の暴風」と言われたアメリカ軍の空襲や艦砲射撃にさらされ続けたことがわかります。

本土復帰から半世紀、現在、沖縄には2653トンの不発弾が残っていると言われています。永久不明弾と言って見つけることができないとされる500トンを除き、すべてを処理し切るには、ここからさらに70年ほどかかると見積もられています。避難を強いられたり、交通規制がとられたりと、今でも沖縄戦の負の遺産に不便を余儀なくされる日常があります。沖縄戦の影響を大きく残す、不発弾の悲劇を繰り返さないよう、慣れることなく、考え続けなければいけません。

復帰50の物語 第9話 沖縄に横たわる「無言の脅威」

第101不発弾処理隊 佐藤景一隊長「県民の皆さまが安心して過ごせるように、安全に処理できるよう、能力を高めてきます。不発弾はそもそも、爆発するように作られている。それが何らかの形で機能が止まったのが不発弾です。また再稼働する、動き始める可能性は十分にあります。不発弾を発見したときは、絶対に触らず、速やかに警察に通報していただいて、我々を呼んでいただければと思います」