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東日本大震災から4ヵ月がたちます。大津波で多くの家などが破壊され、県や市町村は膨大ながれきの処理に追われています。そのがれきを再利用しようと奮闘する人々の中に、沖縄県出身者がいます。復興に向けた彼らの思いを取材しました。中村記者です。

宮古市の宮古ボード工業。この工場では、木材工場から出る木くずや建築廃材などを再利用してパーティクルボードと呼ばれる板にしています。しかし3月の大津波で原材料となる木片チップを流された上、停電が長く続き、生産停止に追い込まれていました。

宮古ボード工業・坂下勝吾社長「4月末にちょっと見に行ったら、がれきの中の太材を選別してチップ化をもう山田町は始めていた。これは使えそうだと」

がれきを使ったこのボードは別名「復興ボード」と呼ばれています。

山田町にある震災がれきの集積所。ここでは運ばれたがれきから、ある程度の大きさがある家の梁や柱などの木材を選別。そして釘などの金属を外し、破砕機で木片チップにします。この集積場では毎日、およそ20トンのチップを生産し、工場で板に変えていきます。

坂下勝吾社長「地方自治体が一刻も早く、がれきを処理したいということに、我々も手助けしているというほうが大きい」

この復興ボードを被災者用の集会場に利用したのが宮古市の菊地建設です。菊池建設で働く高橋晃さんは読谷村出身。岩手で暮らすようになって30年になります。震災前から地元で、安心安全な街づくりを考える会合に参加し、地震や津波対策に取り組んでいました。しかし、想像をはるかに超えた今回の津波に、大きな衝撃を受けたといいます。

高橋晃さん「常日頃から地震に対しての考え、津波に対しての心構えというのは持っているので、想像していた以上はある。言葉に表せない状況」

津波で破壊された地域は住宅の建設がまだ認められていないため、高橋さんらは上下水道の配管工事の復旧から行っています。しかし、できるだけ早く住民の生活の拠点となる住宅を建設したいと考えています。

高橋晃さん「この人たちをどこに、どういう風な状況で生活をさせるか、どういうところに住まわせるかという部分で考えていました」

岩手県宮古市津軽石の仮設住宅内に設置された集会所。被災地の仮設の建物に復興ボードが使われたのはここが初めてです。

復興ボードを提案した岩手大学の関野登教授は、震災で破壊された地域で産業の建て直しや雇用につながると復興ボードに期待を寄せています。

岩手大学農学部・関野登教授「各復興計画に基づいて住環境を整えることになりますから、こういう材料を積極的に使っていただければ、地域で生産されたものが地域でまた使われるといういい循環ができると思う」

一方、高橋さんも「復興ボード」を街の復興と津波に強い街づくりに利用したいと考えています。

高橋晃さん「今度は防災にプラスアルファーの津波という対策を考えて、それに向けての街づくりを進め、共に進めていきたいと考えております」

思うように進まない震災がれき処理のなかで始まった「復興ボード」への取り組み。震災復興への足がかりにしたいという地元の強いが思い込められています。

高橋さんは、被災者の生活再建が地域再生につながると話していて、週末は地元の有志と沿岸部の経済を復活させるための構想を練っています。将来的に津波はもちろん、災害に強い「街づくり」を実現することが目標だと話してくれました。