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65年前の7月、捕虜になった人々が収容所で混乱した日々を送っていたころ、アメリカ本国ではある計画が進行していました。

1945年4月。沖縄に上陸したアメリカ軍が侵攻を続けていたころ、第33代アメリカ大統領に就任したトルーマン。

それから3カ月後の7月。生き残った人々が収容所で混乱した生活をおくるなか、アメリカ本国ではある計画がトルーマン大統領を中心に進められていました。

65年前の7月21日、トルーマン大統領はアメリカが4年の研究の末、開発した新兵器・原子爆弾を日本に投下することを許可します。軍への投下命令は極秘の内、25日に下されました。

「戦争を早く終結させ兵士たちの命を守る」という名目のもと、アメリカが取った恐ろしい選択を、そのとき沖縄の人々もアメリカ兵たちも知る由もありませんでした。