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戦後81年たった今も沖縄戦の実相を明らかにする調査が続いています。戦没者の遺骨収集に取り組むNPO法人が沖縄戦で激戦地となった西原町で7月5日戦没者とみられる遺骨などを発見しました。頭蓋骨などが見つかったのは、西原町呉屋の「呉屋森」と呼ばれる散策道周辺です。

西原町で沖縄戦で亡くなったと思われる遺骨発見

NPO法人・空援隊によりますと、アメリカ軍の戦闘記録を基にこの周辺で激しい戦闘が行われていたことを確認したことから、2026年4月、地質調査をきっかけに本格的な調査を実施しました。

NPO法人空援隊 倉田宇山専務理事「落ち葉がこんなに積もっていますから、それを全部どけて金属探知機をかけていったんですよ」「遊歩道によると金属探知機の反応がでたんですよ、一列でこれはなんだろうと、全員そこに呼び集めて最終40人ぐらい横一列になって掘ったら堀った人の前から全員でたんですよ」

調査では、少なくとも10人分の頭蓋骨や手りゅう弾などが見つかりその一帯が激戦地だったことを示す痕跡が確認されています。

西原町で沖縄戦で亡くなったと思われる遺骨発見

今回は、4月の調査結果を受けアメリカ軍が日本兵の遺体を埋めたとされる連絡壕だった可能性も視野に散策道周辺の地表を調査しました。

その結果、地表に一部露出した頭蓋骨や大腿骨などを発見。周辺からは戦時中に使われていたとみられる無線機のバッテリーや茶碗、薬品瓶なども見つかっています。

NPO法人空援隊 倉田宇山専務理事「それが兵隊さんとか民間人とかこれは分かりませんが、周りにあるのが軍用品ばかりなので軍人さんなのかなとは思っています」

西原町で沖縄戦で亡くなったと思われる遺骨発見

発見された頭蓋骨について警察が確認した結果、事件性はないと判断され、7月6日、戦没者遺骨収集情報センターへ届けられています。

空援隊では、今後も調査を続ける予定で8月下旬には再び現地調査を実施しこの場所に残る戦没者の遺骨や戦闘の実態解明につなげたいとしています。



フカボリ 遺骨収集 空援隊


ここからは、比嘉記者とともにお伝えします。まず今回調査した場所はどんなところでしょうか?

比嘉記者「今回見つかった場所は、西原町の呉屋森とよばれる散策道周辺です。調査を続ける空援隊は、これまでフィリピンやサイパンなどでも遺骨収集を行い、2020年以降は沖縄でも活動を続け、およそ300の遺骨を収容してきました。しかし、沖縄では一度の調査でこれほど多くの遺骨が見つかったのは初めてだといいます」

西原町で沖縄戦で亡くなったと思われる遺骨発見

4月の調査では、およそ50メートルにわたる範囲から、多数の遺骨や手りゅう弾などが見つかったんですね。

比嘉記者「団体では、この範囲だけでも、今後さらにおよそ50人分の遺骨が見つかる可能性があるとみています」

なぜ、これほど多くの遺骨が残されているのでしょうか。

比嘉記者「団体では、この場所に連絡壕があったのでは?と、注目している連絡壕とは、陣地と陣地を結ぶ『連絡通路』だったのではと推察しています。連絡通路とは、兵士が移動したり、弾薬を運んだり、命令を伝える伝令が行き来したりする場所で、もしそうだとしたら、幅1メートル深さ1.5メートルほどあったのではと考えているようです」

比嘉記者「さらに、アメリカ軍の資料を分析した結果、戦闘が終わった後、この場所に遺体をまとめて埋葬さした『集団埋葬地』の可能性もあるとみていて、今後の調査で、その実態を明らかにしたいとしています」

比嘉記者「倉田さんは『私たちは戦後と言いますが、これだけ多くの遺骨が今も地表や地中に残されている現場を見ると、戦争はまだ終わっていないと感じる』と話していました」

西原町で沖縄戦で亡くなったと思われる遺骨発見

80年以上が過ぎた今も続く遺骨収集は、戦没者を家族のもとへ返すためだけでなく、沖縄戦でこの場所に何があったのか、その歴史を解き明かす取り組みにもなっています。比嘉記者とお伝えしました。