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グラスに注がれる琥珀色の飲み物。

来場者「やったー」

来場者「あーいい匂いする」

若者の関心を集めていたのは、泡盛のコーヒー割りです。沖縄天ぷらと水割りの組み合わせや、見た目にもかわいい泡盛サングリアなど、若い世代をターゲットに、あたらしい泡盛の楽しみ方を提案するPRイベントがひらかれました。

酒造組合 佐久本学会長「二日酔いとかアル中とか、マイナスのイメージが多いということで」「泡盛を沖縄の誇りにするというのものが、泡盛業界の使命と思っております」

売り上げ低迷が続く泡盛業界。本土復帰から50年となる今、県内46酒造所すべてがまとまって、意識改革に乗り出しています。

池原酒造 池原優社長「自立するのが遅すぎたぐらいなので」

菊之露 下地一盛社長「県内の市場をおろそかにしてきたっていう部分もあるのかなとは思っています」

イメージの刷新と新たなニーズの掘り起こしで泡盛の再起をめざします。

復帰50の物語 第10話 君知るや名酒あわもり 後編

石垣市にある1951年創業の池原酒造です。

70年あまり前から稼働する工場は、民家と一体化した独特の造り。三代目の池原優さんと社員、2人だけで、洗米から蒸留に至るまで、すべての工程を手作業で行っています。

ここで作られる「白百合」は、土っぽいコクのある泡盛で、個性的な味わいを好む「白百合スト」と呼ばれるファンが、全国各地にいるそうです。

池原酒造 池原優社長「僕と社員合わせて2人でやってるっていうのもあって、なかなか営業活動とか、集客ってい出来ずらいんですけど、そこをあの白百合ストの方々に、営業をお願いしているって感じじゃないですけど。ラベルを作ってくれたりとか。自社でお金払ってやるところを、一緒に池原酒蔵を盛り上げたいっていうところで協力してくれているので、本当に感謝しかないですね」

池原酒造のような規模が小さい酒造所は、県内で7割を占めます。本土復帰後、その経営を少なからず支えてきたのが、酒税軽減措置でした。軽減措置は、消費者や産業への影響を緩和する措置として始まり、県内向けに出荷する泡盛の酒税を35%軽くしています。終戦後、生産力や経営力でどうしても県外に劣っていた県内の酒造業界を支えてきました。

期限の延長が半世紀にわたって続いてきた復帰50年の今年、段階的に廃止されることが決まりました。

池原酒造 池原信子さん「今まで優遇があったでしょ。あれが、もう、あれで助かって税金がね。」

池原さんの祖母・信子さんです。19歳の時に店を継ぎ、酒造り一筋に生きてきました。

復帰50の物語 第10話 君知るや名酒あわもり 後編

池原酒造 池原信子さん「材料も買えるし、こうした施設も整えることができたし、みんなこ優遇の、減税のために、いろいろなものが道具揃えることができたんでね」

庶民の酒だった泡盛を、簡単に値上げすることはできず、生活は苦しかったといいます。

池原酒造 池原信子さん「戦後はみんな働く人は、みな、お酒。”ぶーがりのーし”って言って、疲れを治すあれで、もう仕事終わったらもうみんなお酒なんですよ。自分たちは値上げしてくっても、結局大手が、上げないと、結局、こっちも売れないでしょう。これでは食べられないから、生活できないから、みんな辞めていってるんです。後継者もいなくなったし」

三代目を継いだ池原さんは、軽減措置の廃止に備え、「白百合スト」たちの力を借りて商品開発に取り組み、去年、蒸留酒の国際大会で金賞を受賞しました。唯一無二の存在感で、付加価値につなげるのが狙いです。

池原酒造 池原優社長「泡盛って世界の人まず知らないんですよね。なので、まだまだ伝えていく先があるので、本当にやるべきことはいっぱいあるので、可能性しかないなと感じました。伝え方次第では全然、V字回復のチャンスはあると思います」

一方、業界大手・菊之露の戦略の要は、2年前に亡くなった先代の思いにありました。

宮古島の酒として親しまれている菊之露酒造。今や業界大手として、県外にも知られる存在ですが、沖縄本島への進出は、酒造所としては後発の1980年。より大きな市場を求めて、那覇に販売営業所を立ち上げました。当時は、ウイスキーの全盛期だったそうです。

復帰50の物語 第10話 君知るや名酒あわもり 後編

菊之露酒造 下地一盛社長「離島のお酒っていうのは、思ってたより全然相手にされなかったっていうのを聞いていて、宮古の方が多いコミュニティの近くに事務所を作って、そこから本当に1本1本を押し車で、手売りで売っていったっていうのは聞いたことがあります」

菊之露酒造の社長、下地一盛(いっせい)さん。2年前に、亡き父の跡を継ぎました。品質には絶対的な自信があったという先代・勝さん。本島でのシェアを広げるために注目したのが、当時泡盛への馴染みの薄かった若者でした。

先代 下地勝さんの話「若い世代が行く場所を攻めようと考えました。そのときのシェアは少なくても、3年後、5年後、10年後シェアが変わってくる。若い人たちが集まるところ、カラオケとか大学の側の食堂や居酒屋などは、徹底的にやりましたよ。泡盛は嗜好品だから、一度飲んで受け入れられると、なかなか変わらないと思うんです」

勝さんの予想は的中。本島での需要が伸びてくると、貯蔵を当時主流だった甕からステンレスに変え、他に先駆けて古酒造りの貯蔵棟を整備。その規模は、いまでも県内最大級を誇ります。

菊之露酒造 下地一盛社長「県内市場を大事にしようって言うのをずっと言ってて、20年前沖縄ブームで、泡盛が県外にバーッて広まったときも、やっぱり県外も大事なんだけど、県内の市場は絶対守ろう。おろそかにしないでおこうって信念はずっとあったみたいで」

地元に根付き人と人とのつながりを大切に、泡盛文化を守り育てていく。泡盛の需要低迷やコロナ禍で飲食店が苦境に立たされている今、改めて、先代の思いを実践しています。

復帰50の物語 第10話 君知るや名酒あわもり 後編

営業「通常営業で今流しながら?」

店主「そうですね今のところは通常営業で」

営業「売上の増減ってどうなんですか?」

店主「いやもう、皆さん早く来て早く帰るようななんか癖がついたというか遅くまでは飲まないですね。」

飲食店を回り、今どのような酒が好まれているのかをリサーチしたり、泡盛の新しい飲み方を提案しています。

営業「いろんな飲み方の提案で、コーラで割ったり、ジンジャエールで割っていいし。本当にコーヒーでもね、今飲み方はもう自由に。あの縛りというのは全くないので。年配の酒、おじさんのお酒って言うものの、やっぱり脱却していかないと我々メーカーとしてはですね」店主「提案はもういっぱいしてもらえると、助かります。うちももう、いろいろやってはいるんですけど、周りがちょっとまだ見えてないので、他ではどんなのが流行っているのかなあとか、那覇の方がどうなるかっていう情報も持ってきてくれるので助かってますね」

菊之露酒造 下地一盛社長「業界的にやっぱり県内の市場をおろそかにしてきたっていう部分もあるのかなとは思ってます。やっぱり飲み方のスタイルもどんどん変わってきていて、いろんなお酒飲めるっていう中で、やっぱり、そういう魅力を伝える作業を、怠ってきたようなところもあるんじゃないかなと思います。泡盛を沖縄の誇りにするってテーマを掲げてるんですけど。大変な作業で地道な活動になってくると思うんですけど、やっぱり全社でやっていくっていうのは本当に大事だと思うし、今やらないと本当にいけないのかなと思います」

沖縄戦で全てを焼き尽くされた泡盛は、時間をかけて再生の道を歩んできました。復帰50年の今年、泡盛業界が掲げた目標は「泡盛を沖縄の誇りにする」こと。46酒造所の垣根を越えた挑戦が、名酒あわもりを未来へつなぎます。