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アメリカ軍のヘリが宜野湾市の沖縄国際大学に墜落してから13日でまる2年が経ちます。事故現場跡地の様子やヘリの訓練の現状、住民の思いなどを取材しました。

「あれから2年」

謝花記者「アメリカ軍ヘリの直撃を受けた本館は去年取り壊され、現在はごらんのように新しい本館の建設が進められています。これだけを見ると事故の面影は全くありませんが、隣には2本のナンヨウスギがすっくと立っています。事故を受けて黒く焼け焦げたこの2本のナンヨウスギ、緑は戻ってきてはいますが枝の数は普通の半分以下といった感じで、これ以上枝や葉をつけきれないというような姿で立っています。これより事故現場に近いところに残っているのはこのアカギです。アメリカ軍ヘリはこのアカギと向こう側にあった本館との間に最終的に墜落しました。ある人は、このアカギがあったおかげでアメリカ軍ヘリが道路のほうに転がっていくのを防いでくれたと話していました」

ヘリが激突した本館のあの壁は、事故現場の隣に置かれたままです。

男子学生「(Q:向こうにブルーシートがかかっているもの、何か分かりますか?)分からないです。(Q:分からない?何年生ですか?)4年です」

男子学生「いまはもう建物が新しくなってるので、ほとんど忘れかけてるところもあると思う」

女子学生「見えるように置いてたほうがいいかと思います」「沖縄は返還されたけど普通にヘリが飛んでて、これが自分たちにとって当たり前だった。それがやはり違うっていうのを理解というか、再認識するために」

大学側は壁をどうするか、まだ決めていません。

学生の間では事故が薄れつつある一方で、付近の住民の脳裏にはあの悪夢が鮮明に焼きついています。

付近住民「すさまじい音がそこで聞こえたものですから、びっくりした。そしたら、すぐに燃え上がった。(Q:今でも思い出しますか?)ええ、そりゃ思い出します」

付近住民「落ちてすぐ爆発が2、3度しました。現場にもすぐ行って全部見てますから」「いまでもずっと飛んでますから、その音聞いたら思い出しますね」

事故現場の目の前に住む中村さん。ヘリが落ちるのを目撃し、生後6ヵ月の長男を抱きかかえて家の外に飛び出したそのとき、コンクリートの塊が窓ガラスを割って飛び込んできました。

中村さんがQABに寄せた手記より「『あの時もし逃げ遅れていたら…』と思うと涙があふれてくることもあります。毎日、ヘリの音やヘリを見るたびに、そういう気持ちになっていては、本当に気が変になってしまいそうです。だから意識して気にしないように、今は努力しています。でも、子供たちのことを考えると、どこかで『無事に学校の上を飛び去って…』と願っていたりします。普天間基地が辺野古に移設されると合意されたとき、本当にショックでした。県内移設では意味が無いことだと思います。どうか普天間基地をアメリカに持って帰ってほしいと願います」

今も住宅地上空を飛行するアメリカ軍のヘリ。イラクから海兵隊が帰還し、騒音が激増した去年の4月と比べても、ことしの4月はおよそ1.5倍に増えています。

事故後も市民が危険にさらされている現状に、宜野湾市の伊波市長は先週、アメリカ総領事に思いをぶつけました。

伊波洋一宜野湾市長「私たちとしてはSACOの繰り返しにならないかって言うことへの懸念がとてもあって、同時にそれだけの期間この飛行場が使われれば、そこでまた(事故が)再発する可能性がある」

ケビン・メア在沖米国総領事「訓練は必要なことである。訓練しないと我々の日米安全保障体制の抑止力を失うの」

伊波市長「日米安保条約が大事と言うのならば、これくらいの問題を解決しきれなくて、どうしてその大事さ、重要性を言うんですか」

『アメリカでは許されない』

伊波市長は去年の7月、訪米先で基地を抱える市長の説明に衝撃を受けたことを思い出します。

伊波市長「例えば、これがミラマ−の図。海があってこっちに進入路があってそれからその飛行経路がある。この色の地域は、墜落危険地帯と指定されているんです」「ここのエリアには住宅があってはならない。これと普天間を重ねると、宜野湾市が全域が墜落危険地帯になっている」「こんなこと、まさにアメリカでは許されない」

宜野湾市民「騒音はすごいです、やっぱり」「いつそういう、墜落があるかと心配ですね」

宜野湾市民「最近は夜遅くまで飛んだりしてますよね」「かなり迷惑」

宜野湾市民「正直、もうどこか行ってくれとしか思いません」

事故後、日米両政府は飛行ルートの見直しについて4回にわたり協議しましたが、結論が出ないまま会議は去年の10月を最後に開かれていません。

さらに政府関係者の一人は「もともと困難な話」と、協議自体に疑問を示していて、会議が県民に対するただのパフォーマンスのようにも見えます。

事故から2年。沖国大の事故現場には、黒く焼け焦げたアカギが、宜野湾市の上空を見守っています。上空を飛ぶヘリを指差し、『この空から消えろ』と命じるかのように。

思い起こせば事故後、多くの人が『これで普天間基地は無くなる』と感じたと思います。しかし日米が決めたのは新たな県内移設。そしてアメリカ軍ヘリは何事もなかったかのように住民地域の上空を飛行し、安全な生活を求める県民の当たり前の権利は踏みにじられ続けています。