2012年4月11日 18時40分

検証動かぬ基地vol.107 オスプレイ配備 マスタープランの裏側

おととい、アメリカ軍佐世保基地にオスプレイ用に改良された新しい強襲揚陸艦が入港しました。いよいよオスプレイの配備が近づいてきたことを感じさせます。一方アメリカは、200億円を超える大規模な普天間基地の補修を計画していて、普天間の固定化が懸念されています。

日本政府はオスプレイの配備を去年公表した形ですが、2006年にアメリカ四軍調整官が発表したこともありますし、また先日の辺野古のアセス裁判では、1996年に防衛省の担当者がオスプレイ計画を公表するか否かをアメリカに打診していたことも明らかになっています。ところが、そのさらに前の1992年、暴行事件よりも前に、オスプレイの沖縄配備がある文書に書かれていました。

強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」4万トンが、今週月曜日、佐世保港に入港しました。ボノム・リシャールは、普天間に配備されるオスプレイが搭載できるよう甲板部分が改良されたもの。オスプレイの準備は着々と進んでいます。

元宜野湾市長・伊波洋一さん「(これまでの)強襲揚陸艦エセックスなどでは対応できない。あのままオスプレイを降ろしたら、甲板が熱くなって曲がってしまうというんです。普通は12機1セットだけど、予備もあるから13〜14機くらいはいる。ひとつの部隊に」

普天間基地をずっとみてきた伊波元宜野湾市長は、オスプレイは草木に囲まれたヘリパットでは山火事を起こすほどの高熱を発するとして、そのための飛行場の補修なのではと指摘します。

伊波さん「大規模補修というからには、格納庫も作り直すと思いますよ。格納庫を作り直して、オスプレイ対応ということを前提に考えていくんじゃないですか」

しかも、オスプレイの部隊は新人パイロットの習熟訓練を含め、年間飛行回数は2万回と推定されています。

伊波さん「ここでやってる訓練は、パイロットの技量を維持するための訓練をしているということ。オスプレイがきたら、当然こちらでは同じようにやるわけです」

これはアメリカ軍が今から20年前に作成した普天間基地のマスタープラン。そこには「オスプレイの配備に備え、普天間飛行場の北西部分は整備場・駐機場として確保する」と場所も指定されています。

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その図がこちら。オスプレイの駐機場予定地は北西の端に描かれていますが、そのすぐそばには中学校や小学校があります。

普天間第二小学校。多くの大臣が基地被害の視察でこの学校を訪れました。その度現場の教員は騒音被害と墜落の恐怖を訴えてきました。しかし、先日、岡田副総理は学校長に対し「オスプレイの配備はプラスアルファではない。CH46の代替機だ」と言ってのけました。

伊波さん「この目の前、あいてますでしょ。ここが要するにオスプレイの格納庫というか、駐機場の場所として一応確保されている」

普天間第二小学校・知念春美校長「92年に、もうすでに?」

伊波さん「当然その時にはこの小学校もあるんですよ。あるにも関わらず、ここにも住宅があるにも関わらず、目の前に見えるこのエリアがオスプレイ用だと位置づけられていた」

知念校長「もう、すでに沖縄にそれありきなのかって言うものが、ずっと以前から、沖縄県民の気持ちとは別に、その計画の中にあったのかということに今日はまず驚きました」

1992年の「普天間マスタープラン」。そこには、騒音や安全上の制約で、アメリカ軍自身が手狭な基地の運用に苦労している様子が読み取れ「将来の代替施設の検討」という言葉も出てきます。アメリカ軍は20年以上前から代わりの施設を望んでいたのでしょうか。

マスタープラン同様、アメリカ国防総省が辺野古のジュゴンをめぐる裁判の中で提出した書類の中に、普天間問題に触れた在日アメリカ軍の大佐のメールがあります。

1995年3月の日付があるそのメールには「アメリカ側は適切な移設先があれば普天間基地は返還できると述べているが、適当な場所は提示されていない」とあり、代替地が決まらないのは日本側の問題というトーンも読み取れます。

1995年といえば、9月に起きた暴行事件で沖縄の怒りが爆発した年。これを受けて日米両政府が基地負担軽減に本腰をいれ、11月に「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」が設立。その翌年、サプライズのように「普天間基地の返還」が発表されました。

しかし、このメールは暴行事件より前の3月に、普天間の代替地の検討について触れているのです。

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もうひとつ不可思議なのが、このジュゴン裁判の資料のリスト。SACOのワーキンググループの書類の日付が「1995年1月26日」となっています。沖縄の基地問題を検討する「SACO」とは、暴行事件を受けて作られたものではなく、すでに検討作業が進んでいた委員会だった可能性が高いのです。

ピースデポ・梅林宏道さん「沖縄をどうするかという検討は行われていて、暴行事件に対応してそれが形になったというようなプロセスは十分考えられると思う」

情報公開法で沖縄の基地の実態を明らかにしてきたピースデポの梅林さんは、村山政権当時の日米安保の再定義の流れの中で、実務者レベルで進めていた委員会が、暴行事件の怒りを追い風に世に出た可能性があると指摘します。

梅林さん「沖縄の負担軽減という言い方で、日本のお金でそのシフトをやるっていう。非常にずるい背景がみえみえ」

元々普天間を移設したかったアメリカ軍が、自らの不祥事を逆に利用したのが「普天間返還合意」だったのではと伊波さんも考えています。

伊波さん「普天間返還というのはそれ以前から求められていた。最大の目玉として位置づけられたともいえると思う。それは準備がされていたからできるのであって。本当にアメリカって言う国は転んではただでは起きない。より大きな事件とかショッキングな出来事を自分たちのためにうまく利用していく、そういう機能がある」

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