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沖縄戦からことしで81年。QABでは慰霊の日まで沖縄戦に関する特集をお伝えしています。太平洋戦争末期、軍の命令による強制疎開で多くの命が失われた「戦争マラリア」。当時、最愛の家族を亡くした石垣島の男性は、二度と惨劇を繰り返さないでほしいと、自らの体験を歌にして伝え続けています。

あの夏の日に(歌)「あの夏の日に逝った 家族のお話し しましょう」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

石垣島に住む88歳の田本徹(たもと・てつ)さん。音楽が好きな家族のもとで育ち、声楽家として現在も活動しています。田本さんは7歳のころに戦争によって最愛の家族を奪われました。兄は徴兵先の嘉手納で戦死し、母と妹と弟は「戦争マラリア」の犠牲になりました。

島に建てられた慰霊碑には、当時実際に起きた理不尽な出来事が刻まれています。石垣島では 沖縄戦当時、日本軍の強制疎開の命令により、住民がマラリアのまん延する山間部へ避難をさせられました。

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

マラリアは蚊が媒介する病気で、悪寒や発熱などの症状ののち、死に至る危険性があります。そこに行けば感染してしまうことを知っていたにもかかわらず、軍の作戦展開の必要性から命令が下されたとされています。

田本さん「行かないよと、山に行ったらマラリアにかかって死んじゃうから、みんなわかっているから、そういった軍に対して抵抗したらお前はスパイじゃないかと、スパイとみなされるわけ」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

地上戦のなかった八重山地域で3647人の死者を出した「戦争マラリア」家族を失った田本さんは、自分と同じ思いを、もう誰にもしてほしくないと、自身の経験を歌にしました。

あの夏の日に(歌)「母の悲しみが癒えぬ間に、妹はマラリヤに罹り月桃の花が咲く四月に逝ってしまった、歌が大好きな静子(妹)だった」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

田本さん「空襲警報発令したら、今は僕たち小さいけれど、大人のいうことよく聞いて、あわてずに騒がずに、防空壕に入りましょうと、そういう歌詞のある歌をよく(妹が)歌っていたよって、妹の静子だってね、もう戦争の歌をうたっていたんだねと、悲しくなっちゃうよね」「お母さん、なあに、お母さんっていい匂い、洗濯していた匂いでしょ、という歌があるでしょう、こういった、これは現代の歌ですけど、子どもにしてはその思いですよ、それがそうでなくて戦争の歌だものね、悲しいよね、だからあの戦争はこの幼い子どもたちも狂わせていた」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

田本さんの歌の歌詞には懸命に看病するも、だんだんと衰弱していく母の様子も綴られています。

田本さん「(母はマラリアのために)自分で寝返りをするような体力ももうすでになかった、寝返りを父がさせたら(母の)背中がただれていました。目を当てるのもつらかった」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

生まれたばかりの弟も、母乳を飲むことができずに亡くなりました。歌うたびに、その記憶がよみがえってくるといいます。

田本さん「何回か歌うけどもね、涙がでるんですよ、歌えなくなっちゃうんですね、なんでこういう曲作ったか、自分を責めたりしています」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

それでも、伝えることが自分の使命なのだと田本さんは話します。

田本さん「体験しないとわからないよ、というのでは、それはまずいわけ、体験しちゃだめ、二度とそういう時代が来ないように、またあの体験を生き残った人がやるということは、戦争だということでしょ、あの時代に戻してはいけないということ、やはり強く訴えなくちゃいけないんじゃないですか」

田本さんが当時避難した場所を案内してくれました、当時の風景は今はもうそこにはありません。

田本さん「いろいろと頭の中によみがえってはきますけれども、ふくざつなおもいですよね、こういう風に石垣島は変わって、向こうには自衛隊の大きな基地ができたし、これから先はどうなっていくんだろうね」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

あの夏の日に(歌)「この悲しみを、この悲しみを、繰り返してはならない、幸せは平和の世に生まれ人は人として輝く」

慰霊の日2026(4) 歌でつなぐ戦争の記憶

「あの時代に戻してはならない」と訴える田本さん、かつての避難先の近くには今、自衛隊の基地ができています。過去の悲劇を風化させず、これからの平和をどう守るのか、私たちは重い問いを投げかけられています。