特集です。普天間基地の返還に日米両政府が合意してから、12日で30年がたちます。QABが、以前放送していた企画「検証 動かぬ基地」今回から基地問題についての特集をお送りします。
30年前、当時の大田県政が描いていた「国際都市形成構想」基地を含めた沖縄全体の構想を新たに見つかった資料とともに振り返ります。
橋本総理「普天間飛行場は今後5年ないし7年以内に、これから申し上げるような措置が取られた後に、全面返還されることになります」
1996年4月、当時の橋本総理が表明した普天間基地の全面返還。
一方、当時の沖縄県政は、米軍基地のない未来と自立的な発展を描いていました。その計画に迫ります。
上妻氏「(基地で)虫食い状態の県土だけを相手にする将来構想ではなく、基地を返還せしめ、その跡利用を正しく利用していくということでは、リンクというか表裏一体な話」
上妻毅さん、1990年代の県の構想策定に携わったコンサルタントです。当時の県が策定したのは「国際都市形成構想」基地の存在を前提とせず、県内各地に国際交流や物流拠点などを置き、自立的発展を目指したプランです。
実務面を取り仕切ったのは、当時の吉元政矩副知事。
吉元副知事(当時)「沖縄は東アジア、南太平洋を含んだ中心、ど真ん中という意識を持ってほしい」「(沖縄から)3千キロでコンパスを回して、その範囲は私たちの職域、働く範囲。そこまで手を伸ばそうというのが、国際都市形成の一つの考え方」
周辺国や地域とのつながりを目指して、1992年ごろから県は計画策定を進めていました。そうした中で起きた、1995年のアメリカ兵による少女暴行事件。
県内から基地の整理縮小を求める声が高まる中、全国的にもいわゆる「沖縄問題」が注目されました。
そうした中、開かれた当時の大田知事と村山総理の会談。県側はこのタイミングで国際都市形成構想と合わせ、基地返還を求める「アクションプログラム」の試案を政府側に示します。
上妻氏「普天間ブロックとか嘉手納ブロックとか出てきたので」「持ってきました」
上妻さんは最近、書類を整理する中で、当時、政府側に示した資料を見つけたといいます。この時、国際都市形成構想での自立発展とセットで示した3段階に分けて基地の返還を求めたアクションプログラム、非現実的とみる政府側の反応もある中で、こう切り返していたといいます。
上妻氏「95年として、2015年に嘉手納を返すってもう笑っちゃうような、お花畑みたいな話という言い方はしたけど(官僚は)それに近い趣旨で言ったと思うんだ。(吉元副知事が)20年先の話を可能性も含めてあなたは断言できるのかと言ったら(政府側は)それ以上しゃべらなかったという話を聞いた。ありとあらゆるポッシビリティ(可能性)があると思うわけ」
野添教授「沖縄県側がこのような具体的要求をしてくると、そして沖縄県がこうした準備をしてくるということを、当時日本政府は予想していなかったこともあった」
一方、大田元知事について著作もある沖縄国際大学の野添教授。国際都市形成構想の県政での位置づけを解説します。
野添教授「(大田元知事は)研究者時代の経験もあって、地方分権に非常に関心を持っていた。同時に沖縄戦の体験者ということもあって、平和にも関心を持っていた」「大田氏の人生がある意味で沖縄の近現代史を象徴するものだった。その中で吉元氏が副知事として支えながら、ビジョンを具体化していったとみている」
1996年になって、政府側では橋本内閣が発足し、4月に示された普天間基地の返還。日米両政府は1996年の末、SACO最終報告として一部の基地返還の方針を打ち出します。
上妻氏「投げるべきボールは自分たちで作って(国側に)投げたということもあったから」「投げたものに対して絶対・もっとも譲れないのは普天間(基地返還)というのは一貫して、吉元氏は主張していたと思う」「最終的にSACOがこの基地返還アクションプログラムの考え方をできる限りくんだ形だと思いたいけれど、その中に普天間が入ってくるのは、当然でしょと思う」
ただ、30年前に示された普天間基地の返還は、普天間基地の移設先として名護市辺野古が示される中で政治的な混乱は続き、普天間基地はいまも宜野湾市の真ん中に存在し続けています。
野添教授「沖縄県側が日米安保や、日本の安全保障のあり方、全体の構造の問題として、普天間の辺野古移設問題をとらえている。対し、日本政府側が考える普天間の辺野古移設問題は、危険性除去ということに絞られ、そこにはずっと、ずれはあるまま今日まで来ている」
橋本総理(当時)「平和で活力に満ち、潤いのある地域の実現を目指した「21世紀・沖縄のグランドデザイン」は、沖縄県がその願いを込めた構想であると承知いたしております」
一方の国際都市形成構想、国側は協力姿勢を一定示したものの県内の合意形成や県庁内の態勢の不調、大田県政の終焉など、様々な要因でフェードアウトした形となりました。
上妻氏「これは吉元さんが言ってたが、白いキャンバスに思い切って将来像を描いてください。描きたいとおっしゃっていた」
普天間の返還合意から30年、アメリカ軍専用施設が沖縄に集中し、近年は対中国を標榜した拠点化も進む中で、沖縄の自立的な発展は許されないのでしょうか。
上妻氏「悲しいくらいの日米関係の現実、米国は結局戦利品だと思っているのではと思う。いまだに沖縄中の基地は、その米国ですら、これは動かないとまずいと、この時は動いたわけですよ。同じことは、また同じ可能性があるかどうかは全くわからない」「米中関係も含めてこれからを考えた時に、沖縄問題は塩づけ、沖縄の基地は塩漬けですかと聞きたいね」
