復元が進む首里城の今、人々の思いを紹介する「週刊首里城」首里城正殿の内装工事も順調に進み、正殿正面には石高欄の設置が行われ着々と往時の姿が、その全貌が私たちの目の前に披露されます、楽しみですね。
令和の復元では様々な知見や資料などで琉球王国、当時の様相が再現されようとしていますが、その一つ正殿2階の御差床、玉座に掲げられる扁額はまさに、往時に近い復元になっています。
その扁額、色や彫刻に目が行きがちですが、その元となる扁額の書について、題字を担当した書家に復元への思いを聞いてきました。

盛島高行さん「あまり形こだわらないよ、太く書いて太く」「留めるしっかり、これは軽くていいから、ここは長く伏せる線」
子どもたちにに習字を教える男性。盛島高行(もりしま・たかゆき)さん、74歳です。この日、盛島さんのところに書道を習いに来ていたのは、孫の千穂さんと万奈さん。
笑顔を浮かべ、楽しそうに教える盛島さん。2人の孫にとって、盛島さんはどのような存在なのでしょうか?
おじいちゃんなのか、こういう場合は先生なのかな。
孫の千穂さんと万奈さん「おじいちゃんって呼んでいます」「やさしいおじいちゃん」
「優しいおじいさん」と言われた盛島さんですが、筆を持つと表情が変わり・・・、書家・盛島清盦(せいあん)としての顔を垣間見ることができます。
1951年に福岡で生まれた、盛島さん。大学卒業後、沖縄へ移住し、本格的に書家としての活動を始めました。多くの門下生を育てる傍ら、首里城平成の復元事業では、淑順門(しゅくじゅんもん)や継世門(けいせいもん)などの扁額制作も担当しました。
そして、令和の復元では、扁額「中山世土」の題字を手掛けています。

書家 盛島高行さん「前回(平成時)の資料が残ってなくてですね。で、ここにあるようにあの大まかなとこは分かるんですけど、細かい部分が正確じゃないんです。それで全面揮毫しようということになりましてですね。それで今回は全部書きました」
平成の復元では、コンピューターで作成した文字に盛島さんが手を加え、合成する形で仕上げましたが、令和の復元では、すべて手書きで制作する方針となり、字体にもさまざまな工夫を凝らしたと語ります。
書家 盛島高行さん「今回は(字体を)少し太くしようということ、(扁額の)バックの色がですね。赤から黄色になる。それで同型色だから少しあの弱く見えないかという意見が出ましてですね。それで太くした方がいいんじゃないかと。それでいくつか書いて持っていきましたら、太い方がいいねということで採用されました」
書家 盛島高行さん「全体的にボリュームを持たせたと、そして点画を少し強くしました。康熙帝の新しい資料が出てきてですね。で、それを見るとね割と強いんです。それで少し強くした方がいいかなということで、点画を全てちょっと強めに」
また盛島さんは、平成の復元の際、中国に赴き、当時の皇帝・康熙の書物から書風や人柄を学び、復元に生かしたいと考えたそうです。
書家 盛島高行さん「康熙帝のこの中山世土を書いたのは28歳の時なんです。理知的ですね。計算された美しさがあります。それで力強い、あのだからきちっとした感じですね。整然とした感じです。それが魅力じゃないかなと」

そして今回、康熙帝が琉球国王に贈った御書(ぎしょ)「中山世土」が、340年以上の時を経て、盛島さんの手によって新たに蘇ります。
書家 盛島高行さん「今回の復元はですね。あの形はある程度の形は決まっている。だから、それに命を吹き込むという仕事なんです。だから、そのやっぱり心を込めて一角一角きちっとこう気持ちが入ってですね。そして、やっぱり康熙帝の命がそこに宿るような気持ちで書きました」
書家・盛島さんが思う復元とは・・・・・、
書家 盛島高行さん「『命をふき込む 盛島高行』扁額も全てです。自分の作品も。線に骨があり肉があり、そして血が通っている字を書くってことです、神経が行き渡っているような文字を書こうと。心を込めて、生きた線を書くということです」
多くの人が見上げるだろう、新たな扁額書の一筆、一字一画に込められた当時の背景や思想を、今に伝えています。







































