沖縄戦から、ことしで81年です。QABでは、きょうから慰霊の日まで特集をお伝えします。20万人以上もの尊い命が失われた凄惨な地上戦の記憶は、戦後、多くの体験者の手によって次の世代へと語り継がれてきました。
しかし、沖縄が背負い続ける「基地の過重負担」という現実を巡っては、いま、若い世代の『平和教育』のあり方そのものを揺るがす事態も起きています。過去の歴史、そして今なお続く課題とどう向き合うべきなのか。
太平洋戦争末期、国内で唯一、多くの住民を巻き込んだ苛烈な地上戦が展開された沖縄。地上戦での日本側の狙い、、それは「本土決戦に備えるための時間稼ぎ」で、「捨て石作戦」と言われています。
アメリカ軍の上陸は、1945年3月26日、慶良間諸島から始まり、4月1日には、読谷村などの海岸から本島へ上陸しました。「鉄の暴風」と称された激しい艦砲射撃と空爆は、地形が変わるほどの凄まじさでした。
読谷から日本軍が司令部を置いた首里を目指したアメリカ軍が迫る中、5月22日、日本軍は南部への撤退を決定します。この撤退の決定が、すでに南部に避難していた住民をはじめ、動員された学徒たちなど、さらに多くの民間人の犠牲を招くことになりました。
日米の激しい戦闘のなか、逃げ場を失った住民たちは、日本軍による直接的・間接的な命令や指示も背景に渡された手りゅう弾を使ったり、海に身を投げたりして自ら命を絶つ「集団自決」へと追いやられていくのです。

そして、糸満市摩文仁にある壕で、日本軍を指揮していた牛島満司令官が自決し、組織的な戦闘が終了しました。その日が6月23日とされていて、のちに「慰霊の日」となっています。
一方、アメリカ軍は、沖縄から本土攻撃をするために沖縄戦で占領した地域で、強制的に住民から土地を奪い基地を建設。多くは、1972年の本土復帰以降も在日アメリカ軍基地として残っています。
戦後、戦争を繰り返してはいけないと、戦争体験者をはじめ、多くの人たちが沖縄戦について語り継ぐ活動をしてきました。
大田聡さん「自分のおばぁおじぃが経験したことを、二度と戦場に沖縄をしないんだということも含めて受け継いでいってもらいたいと思います」
沖縄戦から続く、基地という負の遺産。こうした歴史について学ぼうと全国から多くの学校が沖縄を訪れています。

しかし、ことし3月、名護市辺野古沖で、研修旅行の高校生を乗せた船2隻が転覆。新基地建設現場を見学していた同志社国際高校の女子生徒と船長の2人が死亡しました。
事故を巡っては、学校や船を運航していた団体の「安全管理の不備」を厳しく指摘される一方、政権与党から「平和教育」の妥当性を問う声も。沖縄戦からことしで81年。沖縄戦の実相と、いまも続く基地負担の実情を学ぶことが、「平和について考える」ということでは、ないでしょうか?
沖縄戦から81年が経ち、体験者の高齢化が進むなかで、全国から訪れる若い世代が「歴史と今」を学ぶ意義は、ますます大きくなっています。安全管理の徹底は大前提ですが、学びの場そのものが萎縮してはなりません。
QABでは、慰霊の日まで様々な角度から沖縄戦の記憶と現代の課題をお伝えしていきます。







































