失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

37 回視聴・1 時間前

がんと向き合い、共に支え合うチャリティーイベント「リレーフォーライフ」世界36か国で開催され、チームの仲間や参加者同士をたすきをつなぎ、夜通し歩き続けるイベントです。今回、このイベントに参加する1人の男性を取材しました。

参加者「毎年参加しています」「楽しいですね」「ランタンのコメントを見ながらというのが、すごくいいなと思います」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

新垣成美 実行委員長「同じ境遇の人たちと集まって話をすることで」「がんを受け入れつつ、前向きに生きていけるというきっかけにもなる」

那覇市の沖縄大学に集まったのは、がんを患った人や(今も闘う人)、その姿をそばで支え、見守る家族でした。このイベントは「リレー・フォー・ライフ」と呼ばれ、1985年、がん治療薬の開発やがん患者を支援する目的で、アメリカの医師が「患者は24時間がんと向き合っている」というメッセージを掲げながら、24時間走り続け、対がん協会への寄付を呼びかけたことをきっかけに、世界各国で開催されるようになりました。

今回、このイベントに参加する男性、與那原 祥(よなはら・しょう)さん(38)です。

與那原さんは、大事な家族を「がん」で失っています。弟の俊(しゅん)さん。高校1年生だった2007年に血液のがん「白血病」を発症します。

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

與那原祥さん「(弟が白血病と診断された時)最初は信じきれなくて」「なんで自分の弟なんだろうと物凄く悔しくて泣いたのを覚えています」

俊さんは、1年間の闘病生活を経て16歳という若さでこの世を去りました。

與那原祥さん「もし弟が生きていたら、相談したいことはいっぱいありました」「亡くなった当初は夢の中で出てきたりとか、夢の中で会えるけど現実だったらいない状況に悲しくなったりすることもあった」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

知念高校

「はい。じゃあ、横の人と向かい合ってください」

與那原さんは現在、高校教師として2年生の担任を受け持っています。

生徒「よく生徒を気にかけてくれると思います。」「(先生がきっかけで)将来のことについて考える時間が増えるようになりました」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

そして、與那原さんには、もう一つの「顔」がありました。県内でも珍しい水球部をこの高校でイチから立ち上げ指導をしています。

與那原祥さん「インターハイを知念高校から出場させることが出来るように自分は頑張る」「子ども達は最初『ポカーン』としていたけど、水球の楽しさに触れたときに、ものすごく良い笑顔を出すことがあるので、そういったときには『幸せだな』と思う」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

水球部員「(先生は)叱るときは叱ってくれて」「正義感強い」

水球部員「最初に(先生から水球を)やってみないかという声掛けが今の自分に繋がっているから、誘ってくれたことは結構大きかったと思います」

與那原さんの水球にかける思い、それは「明日を迎えたくても迎えることができなかった」弟、俊さん向けられています。

小学4年だった與那原さんは、母親の勧めで弟と一緒に水球を始めました。

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

與那原祥さん「水球を始めてからは」「家でも水球の話をしたり」「何かお互い共通の話ってなると水球だったので、それ以外のことをあまり話した記憶はないですね」

弟の俊(しゅん)さんは、中学生のときに全国大会で準優勝し、将来、日本代表になる夢を抱いていました。でも、突然の「病」がすべてを奪ったのです。弟を近くで見守っていた與那原さんは、参加するイベントで、そのときに気づかせてくれことを少しでも多くの人に伝えたいと思っていました。

会場では、シンボルカラーである紫色のリストバンドを身に着けた参加者が、メッセージの書かれたルミナリエバッグの光に沿って、それぞれのチームフラッグを掲げながら歩いています。

そして、がんで亡くなった人を偲ぶ「ルミナリエセレモニー」が行われ、與那原さんが遺族メッセージを読み上げます。

與那原祥さん 遺族メッセージ「Everything happens for a reason.すべての出来事には意味がある。私がきょうのスピーチで伝えたいことです」「2008年11月1日に弟はこの世を去りました」「白血病。(弟は)難病指定されていて治るかどうか分からない病気にかかっているのに、自分の未来を信じて一生懸命一日一日を生きている」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

「俊が入院中に『今、俊は何がしたい?』と聞いたときに彼女と遊びたいとか、美味しいものが食べたいとか、何かやりたいではなくて『もう一回だけ水球で思いっきりシュートが打ちたい。もう一回プレイがしたい』と聞いたときに」「自分は本当に俊のように一日を一生懸命生きているかな」「自分が出来ることはないかなっていう風に」「私は思いました」

参加者 女性「ご家族を亡くされた話を聞いたときに」「がんで亡くなられてしまう方もいらっしゃるんだという現実を知りました」

参加者 男性「実際に身内で(がんになった)方のお話を聞いて」「心がギュっとしましたね」

俊さんの「生きた証」を伝えた與那原さん、そして、弟が「叶えられなかった〝夢〟」が自分の目標だと語りました。

與那原祥さん「沖縄の水球を日本一にする。俊が叶えることが出来なかった水球で、日本一のチームを作るというのが自分がやりたいなと思ったことです」

失われた未来をつなぐ「リレー・フォー・ライフ」~兄が語る「生きる意味」~

浦添総合病院の藏下要副院長によりますと、県内では年間、およそ8500人から9000人の方が新たにがんと診断されているということです。このイベントで集まった支援金およそ90万円は、日本対がん協会へ贈られ、治療薬の開発などに役立てられます。