特集です。那覇市出身の報道写真家・石川文洋さんがきのう、長野県内で亡くなりました。88歳でした。
石川さんはベトナム戦争を現地取材したほか、同時期の復帰前の沖縄が戦争への出撃拠点と化している様子をカメラに収め続けました。
晩年まで撮影を続けてきた石川さん。これまでのQABの取材から、石川さんの足跡を振り返ります。
石川さんが居を構えたのは、長野県諏訪市。人生をかけてカメラに収めた写真のネガ10万点ほどを保管していました。幼いころ、家族でふるさと・沖縄を離れ、歩んだ人生でした。
石川さん「やっぱり(沖縄は)ふるさとっていう意識は強いですよね。私は4歳の時、早くから(沖縄を)出ていますからね、大人になって出て、また帰ってきた人と違うから、だから私は沖縄人として認められるかなと、いつも思っているけれど」

1960年代、国が南北に分かれて対立する中、アメリカとソ連が介入し、泥沼化したベトナム戦争。1964年8月、カメラを携え現地に向かったのが、当時26歳だった石川さんでした。銃撃戦のさなか、身を伏せて撮った写真もあります。

石川さん「これは弾がピュンピュン飛んでくるから、顔を伏せて電話で支援を呼んでいるわけですよ」
戦場から戻った石川さんは、ふるさと沖縄へ。そこで目にしたのは、嘉手納基地からベトナムに爆撃に向かう、アメリカ軍のB52の姿でした。
石川さん「沖縄から飛び立ったB52、嘉手納から毎日飛び立っていたですよ、それが落とした爆弾で、それで破壊された農村や都市、傷ついた人を私はたくさん写真に撮りました。沖縄に写真にもあるようにB52を反対していたのは、要するに沖縄戦を体験した世代だから、ベトナムで沖縄が加害者になってはいけないと、米軍だけが加害者ではないんだと」

石川さん「今元気なうちに、若い人たちにそれをぜひ伝えていきたいと思っています。私が見た戦場というものを伝えることは、残された私の義務だと思っています」
2024年、石川さんの姿はベトナムにありました。日本とベトナムの若者が、交流する企画に参加していたのです。

日本語教育ではベトナムでトップクラスを誇るホーチミン市人文社会科学大学。そこでジャーナリストとしての功績がたたえられた石川さん。ベトナムの若者たちに、彼らの祖国の歴史を語ります。
石川さん「私はたくさん写真を撮ったけれど、親が亡くなって子どもがなげいている。夫が亡くなって妻がなげいている。いっぱいいます。沖縄の言葉で命こそ宝、『命どぅ宝』」という言葉があります。死んでしまえば、それで終わりです。ベトナムでは大勢の人が死んだけど、本人が死ぬだけではなくて、自分の子どもや孫に命をつなげていくことができない、戦争というのはそういうものです」

学生「1枚の写真は、千の文字よりも価値があると言われています。確かに、大変だったことがわかりました」学生「涙があふれてきました。戦後生まれの私たちにとって、より、ベトナムのことがわかる貴重な記録だと思います」

かつての戦場から様変わりした街を歩いて、こう感じていました。
石川さん「今は平和の中で生活しているわけですよ。前の戦争はわからない。こういう風に観光客が歩いている、これが当たり前と思っている人が多いと思うんですよね。だけど当時は観光客はいませんからね。時代は変わったなということと、平和というのは素晴らしいと、私は来る間にビルを見たり、大きな橋を見たりして、涙が出るほど平和っていいなと思いました」

ここからは塚崎記者です。以前、石川さんを取材したということですが、どのような方だったんですか。
塚崎記者「はい。私が石川さんを取材したのは、2023年の末で、長野県のご自宅をお訪ねし、お話しを伺いました。印象に残っているのは、私が、ベトナム戦争の際、アメリカ軍の出撃拠点となった沖縄が「悪魔の島」と呼ばれていたことについて質問した時のことです」

「石川さんは『ベトナムの人は沖縄を『悪魔の島』と呼んでいなかった』と話していて、衝撃を受けました。石川さんは、ベトナムの人々が『沖縄はアメリカ軍のB52の出撃拠点になっているけれど、沖縄の人たちが戦争に反対しているのも知っていた』と強調していました」
石川さんは人生を通して写真を撮り続け、戦争とは何かを私たちに教えてくれました。石川さんが残したものとは何だと感じていますか。
塚崎記者「ベトナム戦争時に、ベトナムと沖縄の双方で取材を続けた石川さんの写真を見ていると、やはり沖縄の基地が戦場と直結していることを実感させられます。ことしに入って、イラン攻撃に関連した作戦に、沖縄のアメリカ海兵隊が投入されたという報道もありましたが、ベトナム戦争では、より直接的に沖縄からアメリカ軍がベトナムの戦地へと向かっていました」

「いわゆる『台湾有事』の議論もある中で、抑止力の理論で正当化されがちな沖縄のアメリカ軍や自衛隊の存在、そして本質とは何なのか。石川さんの写真は私たちにそれを教えてくれています」
石川さんは沖縄の現状を、アメリカ軍や自衛隊の基地が拡大されていることの懸念や、沖縄を被害者にも加害者にもしたくないと強調していました。戦争を国家ではなく、民衆の視点でとらえ続けた写真の数々は今後も重要性を増してくると思います。
ここまで塚崎記者とお伝えしました。







































