屋富祖の生い立ち

屋富祖大通りの「道そのもの」は、戦前に屋富祖集落内にあった細く曲がりくねった道を、戦後に米軍がブルドーザーで拡幅したことが始まりでした。

終戦からの物資配給が終わった1950年に、数軒の食料雑貨店が続々と開店したことで屋富祖の商業の歴史が幕を開けました。(ちなみに、初期にお店を開いたのは、3人の宮城さんと比嘉さん、仲西さん、名嘉真さんだそうです)

人口激増を続けた屋富祖には、沖縄各地からバイタリティある商売人が集まってきました。映画館も系列違いで「浦添琉映」「浦添沖映」「浦添オリオン」の3軒が密集し娯楽の中心に。米軍人が出入りできる「Aサイン」のバーやキャバレーも裏通りにあり、最盛期には15店舗。ネオン街を賑わせました。

人々の生活様式や社会の変化で80年代以降はかつての賑わいから遠ざかった時期があるものの、その【レトロ感】への注目も相まって、近年では20〜30代の若い経営者が多種多様なお店をオープン。また新しい「屋富祖の顔」がどんどん育ってきています。

1966年頃の屋富祖通り(浦添市史第7巻より。浦添市立図書館所蔵)
1966年頃の屋富祖通り(浦添市史第7巻より。浦添市立図書館所蔵)
屋富祖通りの歩行者天国。1975年(浦添市史第7巻より。浦添市立図書館所蔵)
屋富祖通りの歩行者天国。1975年(浦添市史第7巻より。浦添市立図書館所蔵)