#IMAGINEおきなわ vol.30「ゆいレール開業20年 これまでとこれから」

#IMAGINEおきなわ vol.30「ゆいレール開業20年 これまでとこれから」

今を生きる私たちが50年・100年先の沖縄を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。沖縄都市モノレール・ゆいレールの開業から20年となりました。今では、県民もちろん観光客にとっても重要な移動手段になっています。今回は、ゆいレールがたどった歴史と『これから』について見ていきたいと思います。
まずは、モノレール事業の歴史を振り返りますが、沖縄が日本に復帰した1972年にまでさかのぼります。県振興開発計画で、新しい交通システムの必要性が提起され検討に入ります。その7年後、1979年6月に県と那覇市が協力して都市モノレール導入を進めることを決めます。しかし、その前に、モノレール計画を訴えていた人物がいたのです。
それがこの方、高良一さんでした。高良さんは、戦後の沖縄で活躍した実業家、政治家。「国際通り」の名前の由来となる「アーニーパイル国際劇場」や沖縄初の近代ホテル「琉球ホテル」など数々の事業を手掛けました。1969年、当時、那覇市議会の副議長を務めていた仲本安一さんにある提案を持ちかけます。
仲本安一さん「ある日、副議長室を訪ねて来られて『仲本くんね頼みがある』と言われた『何ですか』と聞いたら『モノレール計画は個人だけじゃだめ』だと。義父の平良良松(那覇市長)に言って那覇市で引き取ってくれないかと。個人も株式でも無理だと。このぐらいのダンボール3個と記憶するけど、それには申請書や計画書、図面とかが全部はいっているわけです。じゃ、お預かりしましょうということで、副議長室の僕のテーブルの後ろの方の窓際に置いた」
その後、仲本さんは義理の父である平良良松那覇市長を再三説得した結果、市として正式に準備に着手させたということです。1982年9月、沖縄都市モノレール株式会社を設立し、開業にむけ、本格的な動きがスタートします。