シリーズでお伝えしている「復帰50の物語」。きょうは沖縄の戦後、そして本土復帰を身を粉にして働きながら乗り越えてきた経営者のエピソードです。
車の通行が右から左に変わった1978年の730(ナナサンマル)。本土復帰を象徴する事業で自らの命運を託した「あるもの」に焦点を当てました。
1978年7月、日本の交通ルールに変更される直前の映像です。まだ車はアメリカ統治時代と同じく右側を通っています。
7月30日の一斉変更、いわゆるナナサンマルに向けた準備の様子も記録されています。そのさまざまな場面で映し出されているのが右側通行用の道路標識を隠すためのカバーです。
730に県警の交通規制班長として関わった久高弘さん。そのカバーの実物を持っていました。