復帰50の物語 第7話 文化の交差点「コザ」

復帰50の物語 第7話 文化の交差点「コザ」

旧越来村と美里村からなる現在の沖縄市は、終戦直後から基地建設が推し進められたことでアメリカ文化を色濃く残す唯一無二の「チャンプルー文化」が生まれました。基地から派生する異文化の影響を受けながら、戦後の復興を遂げていったコザの街は“戦後沖縄の縮図”とも言われています。そんな独自の大衆文化を発展させてきた沖縄市の歴史を貴重な資料の数々から読み解きます。
沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「よくチャンプルー文化とかコザ文化という風にいわれるんですけれど、そういった文化(の影響を)受けた個性的な街・歴史を生かそうと、ヒストリートができました」
嘉手納基地に続くゲート通り沿いにある、沖縄市戦後文化資料展示館「ヒストリート」は、17年前にパルミラ通りにオープンしたあと、移転や合併を経て今の場所にたどり着きました。当時の生活雑貨などから、基地の門前町として栄えたコザの歩みが一目で分かるようになっています。
ヒストリートの1階では戦後、基地の建設でアメリカ化が進み、チャンプルー文化ができていった経緯が分かる年表やにぎわいを見せていたコザの街にあった当時の看板も目を引きます。暗い夜に煌々(こうこう)と輝くネオン、バーで酒をたしなむアメリカ人、華やかさを感じさせる街並みとは裏腹に市民の生活は復興に向けて歩き出したばかりでした。
ジュラルミンで作られた鍋・やかん、終戦直後に使われていた鍋や、やかんです。沖縄戦で家を失った市民は、軍用機の残骸を再利用して作った金属製品を使っていました。また、展示の中でも、ひときわこだわっているのが。