たどる記憶つなぐ平和#45「宮古島「アリランの碑」語り継ぐ」

たどる記憶つなぐ平和#45「宮古島「アリランの碑」語り継ぐ」

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沖縄戦当時、沖縄には多くの慰安所が設置され宮古島にも17箇所の「慰安所」がありました。「かつて苦しみを強いられた女性たちを忘れない」と宮古島に祈念碑が建立されてから今年で17年。この碑に込められた願いと、国や世代を超えて繋ぐ、平和への思いを取材しました。

与那覇博敏さん(92)「こんなに(花)が集まるとは」

宮古島市・上野野原の祈念碑に静かに花を手向ける人々。碑に刻まれた12の言葉は、戦争で「慰安婦」として連行された女性の故郷を示しています。

たどる記憶つなぐ平和#45「宮古島「アリランの碑」語り継ぐ」

韓国出身の参加者「日本軍による性暴力被害を受けた1人1人の女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時暴力の被害者を悼み、2度と戦争のない平和な世界を祈ります」

声なき女性の訴えが刻まれた祈念碑は、平和への願いと後世に記憶を繋ぐ想いが込められています。

先月、宮古島で開かれた「宮古島『慰安婦』のために碑建立17周年」シンポジウム

ソウル大学 ヤン・ヒョナ名誉教授「生存者の証言は韓国をはるかに超えて、植民地主義や第二次世界大戦の歴史に関する集団的記憶を書き換えてきました」

韓国の慰安婦研究者などが登壇した今回の会、宮古島という地で語られたのには、ある理由がありました。

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沖縄大学 ホン・ユンシン准教授「沖縄戦の時、沖縄本島では147カ所の慰安所がありました。調査してみたらそのうち10分の1にあたる17カ所の慰安所が宮古島にあったということが明らかになりました」

1943年、日本軍はアメリカ軍が宮古島を「南西諸島攻略の重点」と考えると予測。島には軍用飛行場が建設され、およそ3万人もの軍隊が配備されました。

軍は住民への強姦を防ぐため、性病予防などを目的に軍隊のいる場所に慰安所を設置。沖縄では辻遊郭の女性や「賃金のよい工場で働ける」などと騙されて朝鮮半島などから連行された女性が慰安婦とされました。

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使いに行くる途中、見知らぬ男たちに捕まり「慰安所」に連れて行かれたイ・オクソンさん(当時78歳)2005年に沖縄を訪れた際、慰安婦の問題解決に向けて思いを訴えていました。

イ・オクソンさん「こうやって日本人が15歳の子を中国まで連れ去って、飢えさせ、死ぬまで殴り、そのせいで歯も全部抜け落ちて、耳も聞こえなくされて足もこんな風に刀で切り裂いて嘘もついた。ここまでされてどうやって日本人への怒りが収まるというのか」

戦後しばらくの間、慰安婦問題は公の場で語られることがほとんどありませんでした。しかし、元慰安婦の女性たちが語り始めたことをきっかけにその声が新聞や報道で取り上げられるようになると、社会全体がこの問題と向き合うこととなりました。

宮古島でも2006年から日本と韓国の研究者などによる共同の聞き取り調査を実施、記憶を掘り起こす取り組みが行われました。

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沖縄戦当時、小学5年生だった与那覇博敏さん、慰安婦の女性たちを実際に目にした「証言者のひとり」です。

与那覇博敏さん「彼女たちはツガガーにて洗濯の行き帰りにここの木陰で休んでいて、私たちに『兄ちゃん唐辛子を貰いたい』と声をかけて」「隣の民家から熟した『唐辛子』を5~6本とってきてあげたら喜んで受け取りました」

自宅近くに慰安所があったという与那覇さん、女性たちの存在を忘れまいと、その場所に岩を置き記憶を留めてきました。

与那覇博敏さん「『慰安所』では、土日曜日の一般兵の外出日となると兵隊たちが列をなして並んでいる姿を見受けましたが、きっと多くの兵の相手をさせられたと思います。毎日、屈辱の思いで過ごしたことでしょう」「私は悲惨な戦争を体験した者として、また『慰安所』が存在したことを知る者として、戦争の悲惨さを後世に言い伝えなければならない責任の重さを感じ『祈念碑』を設立する決心をしました」

たどる記憶つなぐ平和#45「宮古島「アリランの碑」語り継ぐ」

そして、2008年9月7日に建立されたのが「アリランの碑」と12の言語で女性たちへの追悼の言葉を刻んだ「女たちへ」の祈念碑です。建立以来、毎年開かれてきた集会、戦後80年を迎えた今年、住民や学生、そして、タイ、インドネシア、韓国など世界各国からおよそ50人が参加しました。

沖縄大学 ホン・ユンシン准教授「この場の出会いを大切にするという気持ちから、皆がそれぞれ読み上げて、そこの地域に発信するという学びの場にしたいと思っています」

太平洋戦争やベトナム戦争で慰安婦として連行された女性たちの故郷を示す12言語の碑文を読み上げ、戦時性暴力の被害者を悼み、不戦の思いを誓いました。

沖縄の大学生「日本軍による性暴力被害を受けた1人1人の女性の苦しみを記憶し」

インドネシアからの参加「全世界の戦時における性的暴力の被害者を悼み」

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タイからの参加「2度と戦争のない平和な世界を祈ります」

祈念碑が建立された場所は旧日本陸軍の施設から近く、現在は航空自衛隊の基地になっています。今も様々な緊張を抱えるこの島で、碑は女性たちの苦しみを忘れず平和への願いを未来へと伝え続けています。

沖縄の大学生「ハルモニたちの思いだったり、戦争の悲惨さというのを真面目に勉強して、今の私たちの若い世代から戦争の悲惨さというのを広めていきたいと考えております」

与那覇博敏さん(92)「こんな沢山の花、初めてですよ」「これだけ、世界各国にこの運動が広がっていることのあかしだと思います」

たどる記憶つなぐ平和#45「宮古島「アリランの碑」語り継ぐ」

宮古島の住民は、軍が主催した行事で、慰安婦の女性たちが朝鮮民謡「アリランの歌」を歌っていたことを記憶しており、与那覇さんをはじめ多くの住民の心に、その歌や、女性たちの記憶が残っているということです。

戦時下における性暴力を二度と繰り返さないために、宮古島から世界へ、平和への思いを訴え続けます。