たどる記憶つなぐ平和#12「チビチリガマ 80年前に起こった悲劇」

たどる記憶つなぐ平和#12「チビチリガマ 80年前に起こった悲劇」

80年前、読谷村のチビチリガマで起きたいわゆる「集団自決」当時、ガマのなかであった出来事を通して残された遺族が語る平和への強い思いを取材しました。
「真っ暗な中で殺しあっているような叫び声が聞こえ、包丁で刺されたのでしょうか、『お母さんよー、お母さんよー』とどこかの娘さんがわめいていました。どんどん死んでいく様子が真っ暗ななかでもわかるのです」
「敵にやられるより、お母さんの手で殺してください、殺してください」「敵に殺されるくらいなら自分がやろう」
これは80年前のガマの中で、実際に交わされていた会話です。母親は包丁で自分の娘に手をかけたといいます。
1945年4月1日、アメリカ軍は圧倒的な勢力で読谷村に上陸。住民は村内の自然洞くつなどに避難していました。このうちのひとつ「チビチリガマ」には、当時およそ140人が避難していたといいます。