先島の自衛隊配備に関連するリポートです。きょうは与那国町が2005年に定めた「自立へのビジョン」という計画について取り上げます。日本最西端の「国境の島」として自衛隊配備で揺れ続けてきた島には台湾との経済交流を軸に発展を目指した経緯がありました。実現しえた「与那国島のもう一つの未来」について考えます。
田里千代基さん「我々がビジョンを作ったのは、台湾に一番近い日本の島である。抑止力の現場でなく。緩衝地帯の現場になるべきと強く叫びたい」
そう語るのは与那国町議会議員の田里千代基さん。町役場職員として、自立ビジョンの策定に携わった一人です。構想の策定は自衛隊配備が本格化する数年前の2005年。その前の年、町民は石垣市、竹富町との市町村合併に、住民投票を経て不参加を決めました。単独の自治体として生きていくことを決めた町民は、島の進むべき道を自ら記したのです。
与那国町史記録写真集「台北は、与那国の人々にとって最も身近な大都会であり、進学や出稼ぎを目的に、台湾に出かけるのは、ごく日常的なことであった」
構想の軸の一つは、110キロ先にある台湾との交流です。日本の敗戦直後までは活発だった、台湾との間の往来を再び活発化させることで、「辺境の島」から「交流の島」への転換を目指しました。