沼尻 和樹

「100回の夏を最高の夏に」 沼尻 和樹

「第100回全国高等学校野球選手権記念大会」この言葉を聞くだけでも、高校野球が築いてきた歴史の重みを感じます。

私が高校球児として最後の夏を戦ったのは第88回大会でした。夢の甲子園は叶いませんでしたが、今でも最後の夏の試合は鮮明に覚えています。それほど高校3年間の集大成である最後の夏は特別なものだと思います。

その特別な夏を100回という節目に迎えられる球児のみなさんには、ぜひそのことを粋に思い、また歴史の重みを感じながらプレーしてもらえたらと思います!

沖縄に来て球児たちを取材する立場になり、早くも7年目となりました。入社1年目から「めざせ甲子園」に携わることができ、北部農林高校、首里高校に取材に伺ったのを覚えています。元高校球児の経験を生かして取材を!…なんてことは、当時は考える余裕も全くなくバタバタと…色々と多方面にご迷惑をおかけしてしまったかと思います。

それでもそんな私に対し、快く取材を受けてくださった監督さん、そして球児たちからたくさんのことを教わり、今があるなと感じています。この6年間でもたくさんのことを学ばせていただきました。だからこそ、毎年この時期になるとワクワク、楽しみといった高揚感だけでなく、「しっかり取材して伝えよう」という責任感・緊張感も増してきます。高揚感や緊張感でいったら、もしかしたら夏に挑む球児のみなさんと同じ気持ちかもしれません。ことしが「100回の夏」となればその思いも一際だと思います。

冒頭でも書きましたが、球児のみなさんには100回の節目に野球ができることを幸せに感じながら、思い切ってプレーしてほしいと思います。その姿を私たちも全力で追いかけます!100回の夏を最高の夏にしましょう!


山城 咲貴

新人アナウンサー! 山城 咲貴

んにちは!めざせ甲子園!MCの山城咲貴です

まれも育ちも石垣島の島人です

ょう学生の頃、野球部に所属し、ずっと高校野球を応援してきました。

がおで、全力投球で頑張ります!

​んおー!頑張れ!沖縄球児たち!


「100回目の夏に思い出すこと」 中村 守

小学生の頃、少年野球チームの監督に入部を勧められたことがありました。当時、単身赴任で我が家には父がおらず、年の離れた弟と妹を保育園に迎えに行くのは僕の役目。野球はできませんでした。

それから野球する自分を思い浮かべて見るようになった甲子園。100回目の夏は、甲子園への淡い憧れを思い出しながら、球児たちの熱いドラマを拾い上げていきたいと思います!


「100回目の夏を前に思う」 デスク 棚原 勝也

夏の甲子園が今年100回の記念大会を迎えます。僕は2001年、21世紀枠でセンバツに出場し、その年の夏の甲子園にも連続出場した宜野座高校の時代から高校野球の取材にかかわってきました。

当時は沖縄水産高校の裁監督もお元気で、野球の「いろは」を教えていただいたことを懐かしく思い出します。

さて、当時の県内監督の目標と言えば「打倒!裁監督」でした。多くの監督たちが、それぞれに工夫を凝らした練習方法で選手とチームを作り上げていた中で、宜野座高校の甲子園春夏連続出場は「地元の選手だけでもやれる」という自信は、県内高校野球の大きな分岐点ともなる出来事だったように思います。

その後、沖縄尚学の2度目のセンバツ優勝、そして興南高校の甲子園春夏連続優勝など、「沖縄の悲願」に立ち会えたことには取材者として感謝の言葉しかありません。

そして僕らQABでは、この間「めざせ甲子園」で多くの球児たちを伝えてきました。その年の夏の強豪、注目校を紹介するのですが、伝える僕らが一番大事にしていること、それは「注目される球児だけでなく“頑張っている人”の存在を知ってほしい」ということです。もちろん全ての球児がそれぞれに努力し、頑張っていますが、それでも全員を伝えることはできません。だからこそ、僕らが取材させていただく球児や球児を支える人の姿を紹介する中で、“同じように頑張る人たちがいる”こともわかってほしいと願いながら取材しているつもりです。

100回の夏「高校野球のQAB」では全力を注いで、球児たちの100回を伝えるとともに、これまで支えてきた元球児たちの姿も様々な形で伝えていきます。どうぞお楽しみに。


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