"We just can't get along without Okinawa."
 沖縄なくして(ベトナム戦争は)続けられない。
(アメリカ太平洋軍 グラント・シャープ総司令官 1965年)

ベトナム戦争が泥沼化した1960年代、沖縄は前線基地として利用されていた。タバコやトイレットペーパーから武器や弾薬まで、沖縄経由で送られていたのだ。

あれから40年経ったいま、新たな疑惑が持ち上がっている。

ベトナムで300万人以上が後遺症に苦しんでいるという枯れ葉剤。その枯れ葉剤が沖縄でも使われたというのだ。

QABでは沖縄における枯れ葉剤問題を取材しているフリージャーナリストのジョン・ミッチェル氏とともにアメリカで元軍人7人にインタビューを実施した。

「蚊を殺すため、基地のフェンス周りの除草のために
 使った」(泡瀬通信施設に勤務していた男性)

「枯れ葉剤は大体2か月に1回運ばれてきた」
(那覇軍港に勤務していた男性)

彼らの多くが糖尿病や血液のガン、重い皮膚病などに苦しみ、子どもや孫も障害を持って生まれてきている。

「問題は影響が世代を超えていくかもしれないということ。私の
 孫の代まで影響を受けている」
 (キャンプ瑞慶覧に勤務していた女性)

元軍人たちの証言によると、枯れ葉剤が保管、使用されていたとみられる県内のアメリカ軍基地は15カ所に上る。

しかしアメリカ政府は「沖縄で枯れ葉剤が保管されたり、使われたりしたという記録は見つかっていない」と否定している。

番組では、沖縄の本土復帰40年の節目にあたる今年、枯れ葉剤の問題を通して、沖縄にあるアメリカ軍基地が戦争とどのように関わってきたのか、そして、アメリカ軍に土地を提供するということはどういうことかを問う。