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東日本大震災で生じたがれきは宮城・岩手だけでおよそ2000万トン。その大半を処理できないとして、政府はそのうち400万トンを広域処理の対象としています。

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今日、県が公表したがれき受け入れの意向調査結果。これによると29市町村が受け入れを困難だと回答している一方、那覇市や南風原町、沖縄市など12市町村では「現時点では判断できない」と回答の明言を避けました。

那覇市長「本当に(痛みを)わかちあいたい。そのためには(政府に)安心安全、しっかりとした指針を持っていただいて(住民に)説明会もできるように」

このうち、那覇市では年間8600トンの受け入れが可能だとし「災害廃棄物においては受け入れを検討すべき」としたうえで、6つの条件をあげています。

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1つは市民や地域住民の理解が得られること。2つ目はがれきが放射性物質に汚染されていないこと。また、灰から放射性物質が検出された場合の最終処分場の確保を条件にあげています。

今からおよそ1ヶ月前。一括交付金について上京した知事から出た発言。

仲井真知事「がれきの処理について、沖縄だけは外されている。我々も可能であれば、ちゃんとお手伝いしますよと申し上げた」

この発言を受けて、市町村も動き始めます。恩納村議会では即日、村議会でがれき受け入れを可決。県内最大規模のゴミ処理施設を共同運営する那覇市と南風原町も前向きな姿勢を見せました。

那覇市長「基本的には東北をほっておくわけにいかないということが一番」

南風原町長「汚染されていないがれきであれば、日本の絆というのはみんな持つべきではないか」

そんな自治体の動きに待ったを掛けたのが、小さな子どもを抱える母親達。

高江洲さん「がれきの広域処理は、被爆リスクという点、被災者支援という理由、県政の未来を考える上からも根本的に問題があります」

母親たちは放射能汚染が少しでも懸念されるものを燃やさないでほしいという思いを次々に語りました。

南風原町に住む高江洲さんはそんな母親たちの声を届けるべく、那覇市役所や南風原町役場へ要請に向かいました。その参加者の中には福島から原発事故による放射能の影響を心配し、避難した母子の姿もありました。

深野さんは福島原発から半径20キロ圏内に住んでいました。原発が爆発を起こしたその時、1歳の息子の食料を調達するため店の外で並んでいたといいます。

深野さん「避難先で寝て起きたら、私の鼻から血が出ていて、隣で寝ている息子も鼻血。二人同時なんておかしいと思って」

深野さんはその後、甲状腺の腫れが見つかり、機能低下症と診断。息子にも何かあったらと爪をドイツの検査会社へ送りました。

深野さん「息子の体の中にストロンチウムが多く入っていた。まだ1歳なのにですよ」

骨に30年以上蓄積し、白血病の原因になると言われるストロンチウムの検出。これ以上被爆させたくないと、深野さんは仕事のある夫を残し。母子避難を決めました。

がれきについて『福島の子どもの保養先でもある沖縄には受け入れてほしくない』と話します。

深野さん「私たちと同じように、子どもがこれ以上被ばくするのは見たくない。それがわかるのは何年後か」

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一方で、国は今回のがれきの広域処理は岩手・宮城両県のものであることを強調。汚染がれきではないと繰り返しています。

藤村官房長官「今回のがれき広域処理というのは、岩手・宮城分。そういう意味で汚染がれきと混同されている。そこはきちんと説明しないといけないで。福島のがれきは外へは出しませんので」

矢ヶ崎・琉大名誉教授「建前としては汚染のないがれきを処理してくださいと言っていますが、具体的には汚染されていないものとみなすというのが正確」

琉大の名誉教授で放射性物質に詳しい矢ヶ崎先生は政府のいう「汚染されていない」という表現は正しくないと話します。

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県が市町村へ意向調査を実施する中。先週、那覇市内ではゴミ処理施設など市の職員が集まり、がれき問題を考える勉強会が開かれました。

勉強会では岩手県の処理場で、灰からキロ当たり1万4000ベクレルものセシウムが検出されたことが報告されると、やはり職員からは戸惑いの声が上がりました。

那覇市職員「がれきには汚染が十分考えられる。汚染されている所で処理をしてほしい。全国を汚染させる必要はないと思う」

処理施設職員「国の基準が正確であればいいけど、本当に大丈夫なのか。この辺が本当に気になる。現場としてはトップが燃やしてくれといえば、いやとはいえない」

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今後県は「現時点で判断できない」と回答した市町村と意見交換を行なう予定ですが、国の示す「安全」という言葉をどこまで信じていいのか、市民も職員も不安はつきません。