※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

Qプラスリポートです。今月、県内で「地域の課題」について現地で考えようと、東京と沖縄の大学生が語り合いました。そこで語られた「沖縄と基地」。学生たちは何を思ったのでしょうか。

学生たち「見て、なんか飛んでる。」「本当だ。」

嘉数高台へとやってきたのは、法政大学、沖縄大学、名桜大学の学生18人。地方と東京圏の大学生の交流の一環として、一緒にフィールドワークを行いました。

沖縄大学地域研究部特別研究員 宇根悦子さん「沖縄県民は新しい基地を望んでいるわけではありません。にもかかわらず、移設条件付き返還ということで、これがなかなか動かないという状況があります。」

地元の人と交流しながら地域の課題を考えるフィールドワーク。指導するのは、日米地位協定の第一人者、明田川教授です。

法政大学政治学科 明田川融教授「座学じゃなく、実際にそこに生活している人や、風物や、それから沖縄戦、米軍占領下、米軍占領が終わっても続いている沖縄基地問題の歴史など、それから文化に触れて、自分たちのことを相対化して、基地の問題や沖縄というものを深く正確に知ってもらえるいい機会のひとつになればと思っています。」

沖縄戦の足跡をたどろうと訪れたのは、南風原町の陸軍病院のあった壕。

ガイド 赤嶺敏昭さん「内蔵破裂して、モノも言えない、あご吹っ飛ばされた兵隊さんたち。1日に何十人って出てくるんです。」

子どもの頃から平和学習を受け、基地を身近に感じてきた沖縄の学生と、東京の学生。感じ方も、それぞれ違いました。アメリカ軍基地に関する問題については、たくさんの疑問が。

法政大学女子学生「展望台よりも(航空機が)低いところを飛んでた。」

名桜大学女子学生「名護行くときに通ると思うんだけど、道の真上をジェット機が通るから、それが普通だから、危ないんじゃないのっていうのは出る。」

法政大学男子学生「アメリカ人がアメリカで軍用機を動かしたらたぶん、小学校避けるよね。」

法政大学女子学生「沖縄だけやけに米兵による犯罪多くないですか?こっちは全然きいたことなくて。横須賀とかは全然なかったので。」

アメリカ軍基地の跡地を活用し発展する北谷町。法政大学の藤山さんたちはここで話を聞きました。

法政大学 藤山雄多さん「このアメリカンビレッジって、沖縄の人から見たらどんな姿に見えているんですか?」

読谷村出身の男性「気楽に来れるっていうか、アメリカ人とかも多いからそういったつながりとか、カフェとかバーとかで。」

法政大学 藤山雄多さん「アメリカ軍基地についてはどう思っていますか?」

読谷村出身の男性「助けられている部分はあると思うので。まあ他の県とかにはない文化とか交流とかいろいろあると思うので、基地反対ではない。」

法政大学 藤山雄多さん「アメリカ軍の基地があったからこそ、こういったアメリカっていう文化を広げられているっていうのは一理あって。基地があったからこそ、アメリカ文化も広がっているのかなと感じることができました。」

一方、沖縄大学の金城さんは、アメリカ兵と住民との間で交通事故が起きた際の対応について、役場の職員からこんな話を聞いたといいます。

沖縄大学 金城凜さん「(事故が起こると)防衛局などに話がいって、役場の方に最終的にこういうことがありましたと報告があがってくるってことだったので、場合によっては、当事者同士で話し合いが着けられた場合は報告があがってこないということもあって。」

明田川教授は、こうした現状こそがアメリカ軍基地を受け入れさせられる沖縄の負担だと指摘します。

明田川教授「基地の外って日本なわけです。そこで起こっている交通事故の被疑者を、アメリカの憲兵が持って行っちゃうからあがらなくなってる。警察権、捜査権という、それがこっち側に十分ないっていうのが一番問題なんじゃないかな。」

沖縄大学 金城凜さん「私の中にはなかった視点だなっていうのがあって。例えばもしこうだったらといった視点っていうのは自分のなかにどんどん取り入れて(いかして)いきたいなって感じました。」

法政大学 藤山雄多さん「今回はアメリカンビレッジでやらせて頂いたんですけど、できるのであれば他のところでも聞いて、現地の人の声だとか、自分の目で見て物事を発見して考えていきたいと思います。」

沖縄で当たり前になってしまっていることは、外から見ると異常な状況でもあります。若い世代が、いま、そこに向き合おうとしています。