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読谷村にあるチビチリガマが少年たちによって荒らされる事件からきょうで1年。犯行を行った少年たちや被害にあった遺族の大人たちにどのような心境の変化があったのか。そして事件から得られる教訓は。取材しました。

チビチリガマ 事件から1年

読谷村にある自然壕、チビチリガマ。73年前の沖縄戦で、ガマに避難する地元住民、83人が、集団自決に追い込まれました。

この場所でちょうど1年前、事件が起きました。

壕の中、ツボは割られ、遺骨は撒き散らされ、踏み荒らされたチビチリガマ。沖縄戦の犠牲者に対する冒とくでした。

事件発覚から数日が経ち、犯行を行ったのが、県内に住む当時16歳から19歳の少年4人であることが判明。遺族や関係者らに大きな衝撃が走りました。

チビチリガマ 事件から1年

与那覇徳雄会長「22年間何もなかったものですから、ちょっと狐に包まれた感じでですね、なんで、なぜというのがありまして。少年たちということが分かったときはですね、より大きな、なんか力が抜けたような、ショックでしたね。」

犯行の動機は「きもだめし」。少年らは、チビチリガマの歴史を知りませんでした。

与那覇徳雄会長「平和が語り継がれているという錯覚に陥った僕らも十分反省しないといけないし。少年、そして若者たちにですね。73年前に起こった、なぜ避難したかまで身内同士が殺しあわなきゃならなかったのかということ戦争の惨たらしさを積極的に伝えていきたいなと思っております。」

チビチリガマ 事件から1年

チビチリガマの周辺には、犠牲者への謝罪の意味を込めて少年らが作った12体の「野仏」が祀られています。

彫刻家の金城実さんは、少年らの保護観察プログラムの一環として少年らと一緒に「野仏」を制作しました。

金城実さん「死者に向かって野仏におんぶされて、野仏にすがって申し訳ございませんというのが自分の手で、たかだか2、3日ですが作ってむこうに設置したと。あそこにいても見られているわけね。こいつらが作った作品・野仏は。壕の中から」

野仏作りを通して、少年たちの心に変化がありました。

チビチリガマ 事件から1年

金城実さん「野仏を作ることによって安ど感というか、救われたというのは表情にも顔にも出ておったし」

戦後73年。事件の後、皮肉にも事件を知ったことで、チビチリガマを訪ねる人が増えたといいます。

悲惨な歴史をどう語り継ぐのか。事件から1年、少年たちの姿から考えることがあります。

金城実さん「自分たちが作っている野仏は、チビチリガマの大きな壕の入り口の中から見られているんだと。自分たちが作った野仏が壕の中から。絶えずみられている。」