2018年3月26日 18時32分

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと

あすから3日間の日程で天皇皇后両陛下が沖縄を訪問されます。過去10度の訪問で両陛下は、戦地を訪ね平和訴え、沖縄に思いを寄せられてきました。

しかし一方で、地上戦を経験した沖縄では、戦後73年が経った今も、天皇への複雑な気持ちを抱える人もいます。学童疎開船で多くの友達を失った女性は、あすの訪問を前に何を思うのでしょうか。

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと

平良さん「(天皇陛下に)お会いする気持ちは今もありません。天皇のために死ぬと教えられた子たちが帰って来ないからね」

国頭村出身の平良啓子さん。国民学校4年生のころ、疎開船対馬丸に乗り遭難しました。今も忘れることができない、悲惨な体験を語る活動を続けています。

平良さん「不意打ちに波がぶつかってくるんです。その時時子は手が外れて重なっている死体やモノの中にガラガラと引きずり込まれて流されて行ってしまったんです時子どこ行くのよって私は一生懸命呼びました」

一緒に疎開した、同い年のいとこ、時子さんは真っ暗な海の中で別れたきり、戻って来ませんでした。

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと

ここ、那覇港をあとにし、沈没後は時子さんや家族と離れ、6日間漂流し生き永らえた平良さん。生まれ故郷に帰った時、ある言葉が胸に刺さります。

平良さん「(時子さんのお母さんが)『あんたは生きて帰ってきたのにうちの時子は置いてきたの?』となるでしょ。それが悔しいんですよ」

心に傷を負った平良さんを、更に地上戦の惨劇が襲います。家も、家畜や食糧もすべて焼かれました。かけがえのない人や、帰る場所を奪っていった戦争。思い起こされるのは、あの頃の教育です。

平良さん「御真影室に向かっておじぎをするというふうに教えられるし教室に入ると『天照大神』というのがあってそれに向かって大麻を拝む」

平良さんは国民学校令が施行された1941年に入学しました。その頃、沖縄の教育関係者らが発行していた雑誌からは、方言を封じて標準語励行を行い、天皇への忠誠心を育む軍国主義教育を徹底することで日本への同化をすすめていったことがわかります。

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと

平良さん「大きくなったら従軍看護婦、男は特別攻撃隊になって敵の軍艦を撃ち殺す、飛行機を打ち破る、それが憧れの夢ですよ、みんな。命が自分のものじゃない、天皇のもの。神にささげるという、そういう憧れを植え付けられた洗脳教育。おそろしいですよ」

戦後、平良さんは戦争の悲惨さと命の尊さを伝えようと、教師として39年間教壇に立ち、その後も県内外で平和を発信し続けています。4年前、天皇皇后両陛下が対馬丸記念館を訪れた際には、参列者として招待されましたが、そこに平良さんの姿はありませんでした。

平良さん「(両陛下が)人間としては平和に対する想いや沖縄に対する謝罪のような気持ちを持っているのはわかるからある程度心許すけれど天皇制というのがある限りまたどういう事になるかわからないからそれが嫌なの。天皇って何者だったのかな、こんなに尊いものだったのかな、命を惜しみなく投げるだけの価値のある天皇だったのかと思うと心が複雑になるんです。」

戦争の歴史に向き合ってきた陛下の姿に心境の変化を持ちつつも、天皇制については今なお不安と恐怖を拭えません。

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと

平良さん「(皇民化教育は)徹底して植え付けられた『修身科』。最近、道徳が教科化されると聞くとまた始まった、大変だと思っている。こわいですよ、まず教育の統制から始まるという。戦争したいときには教え子や子や孫たちが、この子たちを不幸にさせるというのは許されないし、生きている間に平和の日を見つめていきたいと思っている」

現在83歳になる平良さん。天皇制が再び、戦争に利用されるのではないか、その恐怖心がある一方で、現在の天皇陛下が平和を発信し続ける姿勢には心強いものを感じると話しています。

qablog-mono.pngCopyright © QAB. Ryukyu Asahi Broadcasting Corporation. All rights reserved.
  No reproduction or republication without written permission.