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認知症の人もそうでない人も一緒に走ることで認知症への理解を深めてもらおうというイベント「RUN伴」。きょうは若年認知症になったある父親が、このイベントに参加して決意した家族への思いをお伝えします。

先週土曜日、本島南部から始まったタスキリレー「RUN伴」。認知症の人やその家族、支える人々が参加しゴールに向かってタスキをつないでいきます。各市町村では、様々な催しも。

Qプラスリポート 認知症の父 “RUN伴”での決意

そんな暖かい雰囲気の中、RUN伴初参加となる、ある男性の姿がありました

うるま市にあるデイサービス。この場所で社会復帰を目指し、トレーニングに励んでいるのが新里勝則さん。

Qプラスリポート 認知症の父 “RUN伴”での決意

明るい笑顔を見せる新里さん。昔から釣りなどをはじめ趣味も多く、また、軍雇用員として長年勤めるなど、公私ともに充実した生活を送っていました。

しかし、4年ほど前、異変が起こりました。

新里勝則さん「フォークリフトを運転していて、パレットにいろんな商品を積んでいくんですけど、これができない。右行ったり左行ったり、後ろ行ったりするんですけど、それができなくなった」

空間認知能力と方向感覚が著しく低下。その後、認知症と診断され、長年勤めた仕事を辞めざるを得なくなりました。

新里勝則さん「投げやりというか、そういったことはありました。家内や子ども達に迷惑をかけてしまったなって…」

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新里さんは妻の初美さん、そして長男の勝也さんら3人の子どもとの5人家族。認知症発症後、家族の生活も一変しました。

長男・勝也さん「明るくて誰とでも話をする社交的な親父だったんですけど(発症した)その時期は外に出ることがなくなり、部屋に閉じこもるような感じでいました」

妻・初美さん「人に対しての攻撃だったり、今までやらなかったことを人に対してやり始めてから、ちょっとおかしいかなと感じました」

退職直後はまだ元気があった新里さん。しかし、認知症はその心を閉ざし、明るい表情も性格も奪っていきました。

妻・初美さん「本人も辛いというのはすごく伝わってきましたし、でもどうしたらいいかわからないという自分も辛いその時期が一番、一生の中で辛かった日々だと思います」

それでも献身的に支えてくれた家族や周りのサポートのおかげで状態が良くなってきている新里さん。再び社会復帰し働きたいと強く思うのは家族への思いからでした

新里勝則さん「社会復帰したら、僕の収入で長男・次男を釣りにつれていきたい。また家族全員で食事行ったりそういうことがしたいです」

RUN伴への参加は、新里さんにとってその大きな一歩を踏み出すきっかけでした。

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イベント当日。なんと新里さんはうるま市のRUN伴のスターターを担当。

新里勝則さん「これからRUN伴うるまのパレードをスタートいたします」

そして、およそ2年間部屋にこもっていたことが嘘のようにパレードの先頭を歩き始めます。途中から初美さんも隣へ。

新里勝則さん「うれしかったですね、一緒に参加できるとは思ってもいなかったので。家内が参加してから、より今までのことを考えるようになりました。ずっと迷惑をかけていたので、これから前向きに生きて、頑張っている姿、見せたいです」

およそ1キロ、時間にして20分。このゴールが、新里さんにとって新たなスタートです。

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新里勝則さん「第2の人生のスタートです。きょうは記念日ですかね」

1人1人がつないできた「RUN伴」。思いが詰まったタスキが人びとを元気にしていきます。

そして最終ゴールの金武町へ。フィナーレはみんなでカチャーシー。溢れる笑顔は、あすへとつながっていきます

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