※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

続いては「うちなーむーく」の中村守アナウンサーが、沖縄の不思議を探す「まも散歩」です。今回は那覇市の壷川駅周辺で、ある生き物発祥の地と言われる奥武山の歴史に触れたようですよ!

中村守「うちなーむくの私中村守が県内の様々な場所を歩くまも散歩。今回は近代的な建物が並ぶ壺川駅周辺です。一体どんな出会いがあるのでしょうか?行ってきます」

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

始まりました!まも散歩。今回、那覇市の壺川駅周辺を案内して下さるのは、私と同じうちなーむくの古塚さん!スタジアムや陸上競技場などがあり、今やスポーツ愛好家が集まる奥武山は、その昔、小さな島だったことをご存知ですか?

中村守「この一帯が島だった奥武山自体が島だったという?」

古塚さん「奥武山の小島から現在までという説明板があってこれを見ると奥武山が陸続きになっていく様子が分かります」

まずは、奥武山の歴史のお話!

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

小さな島だった奥武山に、はじめて橋が架けられたのは、およそ100年前。その30年後、1948年ごろに、ようやく現在の小禄地区と陸でつながりました。

壺川駅と奥武山を結ぶ北明治橋は、奥武山が島だった名残でもあるのです!

古塚さん「モノレールの壷川駅ができたので奥武山に渡りやすいように北明治橋という名称で架けられたがこの橋は元々は今の明治橋の辺りに架かっていたものです」

中村守「前はあっちにあったものが今はここに?」

古塚さん「再現したという形でデザインは昔の明治時代にできた明治橋のデザインをコンセプトにしています」

中村守「そうなんですか!」

この奥武山には、なんでも古い伝説があるそうで。

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

古塚さん「昔沖縄にはミミズはいなかったそうですこの奥武山にだけミミズがいたそうです」

これは、奥武山に伝わる〝ハブとミミズの物語〟

ある日、夕涼みに奥武山にやってきた一匹のハブ。いつもはない川を辿っていくと、そこではたくさんのミミズたちが泣いていました。

ミミズの長老は言いました。

「奥武山の土を食べ続けたら島がなくなってしまう…それを考えたら悲しくてみんな泣いている…」と。

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

ハブは呆れて、島を出ればたくさんの土があることを教えると、ミミズたちは土を求めて沖縄中に移住したんだとか!

中村守「ミミズ発祥の地なんですね」

古塚さん「沖縄ミミズ発祥の地と言われています」

中村守「ハブとミミズの物語があるわけですね」

古塚さん「そうです」

北明治橋を後にして、奥武山公園を歩いていると、木がうっそうと生い茂る一角を見つけましたよ!

古塚さん「ここだけちょっと」

中村守「雰囲気違いますよね」

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

古塚さん「こちらに回っていただきますと心海上人之墓と書いてある碑が建ってますね」

奥武山公園にひっそりとある心海上人の墓。

護国寺の住職だった心海上人は、その昔、奥武山に隠居寺を創建したとされているのですが、その半生は、いまだ多くの謎に包まれているそうです。

古塚さん「いつ生まれていつ亡くなったのか分からないんです」

中村守「え?」

古塚さん「心海上人は多良間島にある期間いたことが分かっています。ただどうして多良間にいたのか修行をするためにいたのかそれとも島流しにあったのか分かっていません」

古塚さん「ある時この洞窟に入っていって入定されたと。つまり即身成仏の道を選ばれたと言われています」

まも散歩#3 奥武山”伝説”の生き物とは

古塚さん「実は奥武山ってヘビがいっぱいいてとても怖いところだったと言われているんですね。ところが上人がここにお寺をひらかれた後はヘビが出なくなったという話もあります」

奥武山の生き物の歴史も知ったところで、今回はここまで!次回は、どの店も同じ名前!?あの人に由来する町の歴史に迫ります!