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宮森小学校のジェット機墜落事故では、児童12人、住民6人の18人の尊い命が失われました。県民4人に1人が犠牲となった沖縄戦から14年後の大惨事。犠牲になった大人は凄惨な地上戦を生き抜いた人たち。そして犠牲になった児童は、戦後の新しい未来を迎えるはずの子どもたちでした。

宮森小ジェット機墜落事故 琉歌とひまわりに込めた遺族の想い

1959年6月30日ジェット戦闘機F100Dは、テスト飛行のため嘉手納基地を東シナ海に向けて離陸して、まもなくエンジントラブルが発生。機体はコントロール不能となりパイロットはパラシュートで脱出。

無人のジェット機は火を噴きながら石川の街に突入していきました。ミルク給食の時間だった宮森小学校にジェット機が激突教室は一瞬にして火の海となり逃げ遅れた児童たちが犠牲となりました。

伊波春代さん事故当時、宮森小学校の方から爆音を聞き裸足で学校へ駆けつけました。

当時小学6年生だった息子の正行君はジェット機のエンジンが飛んできて後頭部に致命傷を受け、即死でした。

宮森小ジェット機墜落事故 琉歌とひまわりに込めた遺族の想い

伊波春代さん「けがもして、亡くなっているのに、火葬するのはかわいそうだからと埋葬したんですよ。洗骨するんですよ。その時にわかったわけ、頭ね、こっち骨が中に入っていたわけ。それからはもうあんまりかわいそうで、モノも言えなかったです」

沖縄戦で両親を亡くし、命の尊さを誰よりも知っている春代さんそれだけに突然、息子を失った怒りと悔しさは計り知れません。

伊波春代さん「この話はなるべくはしたくないよ、辛い、とっても辛いですよ。生きている限り、この悲しみは私の心から抜けませんよ」

6月30日にはなるべく宮森小学校に足を運ぶ春代さん。数年前の慰霊祭で犠牲者に花を捧げながら苦しい胸の内をこう言いました。

宮森小ジェット機墜落事故 琉歌とひまわりに込めた遺族の想い

「基地があるがゆえに我なしぐゎ失って朝夕袖ぬらち暮らすちらさ情けねんあめりかやわちむ知らん(自分の子どもを失って、朝夕思い出して泣いている。私の気持ちの苦しさは、アメリカにはわからない)」

伊波春代さん「これはですね、考えたでもないし、慰霊祭の時に頭に浮かんだからいったこと。現実、基地あるがゆえにわがなしぐゎうしなてぃ。朝夕泣いて、もう暮らすのが辛いという事ですよ。そうしてこの気持ちはアメリカの人たちには、(墜落したジェット機の)パイロットには私の気持ちなんか知らないという琉歌です」

春代さんは基地がある限り戦と変わらないと言います。

伊波春代さん「私が生きている間に少しは(基地を)減らしてもらいたいと祈るだけですよ」

上間義盛さん58年前、当時小学3年生だった弟の芳武くんを事故で亡くしました

宮森小

上間義盛さん「弟はブランコで遊んでいたらしいですけど、爆風で吹き飛ばされて15~20メートルぐらい離れた所にあるトイレのブロック塀に叩きつけられて即死だったらしいです。顔に大きな青いあざがあったんですけどね。お母さんこれ見て、半狂乱みたいになって泣きわめいて『芳武』『芳武』叫びながらね。こういう状況で私たちは何も言えなかったですね、本当に悔しくて」

突然、事故で弟を亡くした無念さから上間さんは高校卒業後、警察官になりました。そして退職後は自主的に見回り活動を行っています。

上間義盛さん「こうして弟を亡くしておりますし、子供たちが事件・事故の被害に遭わないようにということで、登校時と下校時は毎日回ってます」

犠牲者の御霊を慰め事故の悲惨さを伝えようと、6月30日の慰霊祭に向けて今年4月、ひまわりの種が石川の町中に植えつけられました。ひまわりはブランコで亡くなった芳武君が好きだった花です。

このプロジェクトの発起人の伊波昭夫さん小学4年生の時に事故に遭遇し、実家も被害にあいました。

宮森小ジェット機墜落事故 琉歌とひまわりに込めた遺族の想い

伊波昭夫さん「一瞬にして2年生の校舎が燃えて、もの凄い状況というのは今も焼き付いてます」

6月30日が近づき石川の町中で背の高くなったひまわりを目にするようになりました。

Q.ひまわりは太陽に向かって何をお願いしていると思いますか?

伊波昭夫さん「やっぱりああいう悲惨な事故が起こってもらいたくないというのと地域が元気、活発になってお互いが笑いが絶えない街になってくれとお願いしているんじゃないですかね」

宮森小ジェット機墜落事故 琉歌とひまわりに込めた遺族の想い

事故から58年。今年も慰霊祭には多くの遺族が訪れ手を合わせました

母親を亡くした女性「もうあっという間ですよ、この歳なっても6月なったら飛行機が来たらビクビクしますよ。基地も撤去してほしいですよ」

戦後、アメリカ軍がらみの事件・事故が絶えず、去年末にはアメリカ軍のオスプレイが名護市に墜落しました。58年前のジェット機事故で犠牲になった18人の御霊はあの日と変わらない空を見上げて何を思うのでしょうか?