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今年4月、読谷村の米軍飛行場跡地でおびただしい土壌汚染が発生していることがわかりました。しかも2年間、国も県も村もこの問題を公表せず、3者が「責任」を押し付け合う構図になっています。読谷村の土壌汚染ん問題を通して、返還軍用地が抱える課題を考えます。

ゆらゆらとと風に揺れるサトウキビ。現場は、この広大な土地の一画にありました。

新里さん「あちらが現場です。草の生えている所、向こうが現場ですね。今年3月に重機を入れて工事したんです。3月の時点ではタイヤのチューブとか、放り出されて臭かったです。」

Q+リポート 明らかになった読谷土壌汚染

読谷補助飛行場は1943年に旧日本軍によって造られ、終戦後はアメリカ軍に使われていました。村に返還されたのは2006年。その一角にあるこの場所で汚染が発覚したのはこの土地を活用して新事業に乗り出そうと整備を始めた矢先でした。

これは市民団体と環境NGOが入手した報告書。土壌調査は4カ所で実施されました。その結果、1番からは環境基準の8.3倍、2番からは2.4倍、3番からは6.6倍、4番からは1.1倍と全ての地点でダイオキシン汚染が発覚したのです。しかも国も県も村も、この問題を2年間、地元に公表していませんでした。

Q+リポート 明らかになった読谷土壌汚染

新里さん「米軍の責任じゃないか、日本政府の責任じゃないかと、お互いになすり合いになって住民の健康、環境がおっぽり出されているのが問題。」

新垣さん「地元の人は二の次になっている。」

波平さん「環境に関しては何より、そこに住んでいる人に一番に知らせないといけない。肝心な村民は全く知らない状態。」

読谷村はこの土地の調査だけでおよそ4億もの費用がかかると見積もっていますが国は自分たちに責任はないとして読谷村に負担を押し付けようとしています。納得いかない住民たちは調査の徹底や結果の公表、そして国が責任を持って汚染の処理を行うよう防衛局に要請しました。しかし。

沖縄防衛局返還対策課 阿部正和課長補佐「地元の方がこちらで廃棄物を置かれるとともに、焼却を行っていた。そこをどけて頂いた経緯はありますので。仰ることはわかりますが、ゴミ捨て業者が誰かわからない中で、米軍だと決めつける証拠も無いわけです。想像の話でそうだろうと言われても、何とも言いようがない。」

Q+リポート 明らかになった読谷土壌汚染

防衛局は、この土地の周りにフェンスなどが設置されておらず地元の人が自由に出入りできたこと。また民間人が廃棄物置き場として使っていたことなどから、必ずしもアメリカ軍由来の汚染とは言えず、当時の法律によっても国が調査や撤去する責任はないと主張したのです。

沖縄防衛局返還対策課 阿部正和課長補佐「当時の返還特措法に基づいてやっていますが、その中では米軍に起因するものはやるとなっている。それに基づいて(手続きを)やったと言わせて頂きたいのです。」

河野さん「管理責任はどこにあったのか。捨てた物は特定できないとしても、土地の管理責任はどこにあったのか。」

Q+リポート 明らかになった読谷土壌汚染

住民たちが入手した調査報告書には驚くような写真も添付されていました。現場のすぐ近くからは消火器やタンク、鉄くずの山が見つかっていたのです。また地中からは、こんなものも姿を表していました。これは石綿管。返還された後も、地中に埋まったままだったのです。

しかし防衛局は土地を返還する際、そのままの状態で返していました。そして汚染の蓋然性がないとしてダイオキシンなどの詳しい土壌調査も行っていなかったのです。

「本気で怒りますよ。後がないの。95パーセント基地だったんですよ、読谷は。何も無いと言うのが間違えでしょ。ここにしか住めないの、あなたは東京に帰れるかもしれないけど、私たちはここで生活するしかないんだよ。」

アメリカ軍基地の跡地から次々に発覚する土壌汚染。しかし、誰が責任を持って調査し、撤去するのか、住民置き去りのまま解決のめどは立っていません。