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来月8日に開幕するリオパラリンピック。県勢からは2人の選手が出場します。この4年間の思い、そして意気込みを聞いてきました

仲里進選手「当初気合いを入れるつもりでやったら、これがトレードマークになってしまって、もう辞められないような状態になっていて。」

Q+スポーツ部 リオパラリンピックへ!県勢2選手決意

今やトレードマークともいえるヘアスタイルの持ち主、車いすラグビー・仲里進選手。

車いすラグビーは、パラリンピック競技の中で唯一、車いす同士のぶつかり合いが認められていて、タックルの応酬が見られる激しい競技です。2000年のシドニーから公式種目になっています。

今回が4大会連続のパラリンピック出場となる仲里選手。前回のロンドン大会ではメダルまであと一歩と迫る4位。今大会に向け、海外のチームで練習を積むなど、準備を十分に整えたと言います。

仲里選手「競技レベルもあがってきて、日本のチーム、僕自身、個人個人もレベルがあがって来て、ロンドンの時よりも他の3強と戦っていける、競い合える力になってきているので、本当にメダルが近い状態に仕上がっていると感じています。」

一方、車いす陸上・トラック競技に出場するのは上与那原寛和選手。今回が3大会連続のパラリンピック出場。2008年の北京では、車いすマラソン競技で銀メダルを獲得しています。

Q+スポーツ部 リオパラリンピックへ!県勢2選手決意

上与那原選手は、2000年に事故で頸椎を損傷し、現在も首から下に麻痺が残っています。それでもリハビリに取り組む中で、この力強い走りが身に付いていったと話します

上与那原選手「どうしても首をやってしまうと全体的に筋力が落ちますので。残っているところの筋力を生かしていく、乗っている中で、今一番発達しているのが三頭筋と言われていますね。そのへんが自分のメインのエンジンになっているみたいです。」

上与那原選手は、2012年のロンドンでは400mで3着でしたが、コースのラインを踏んだとして失格に。その悔しさを胸に挑んだ去年の世界選手権では、400mと1500mで銀メダル。さらに今年7月の関東選手権では1500mでアジア記録を更新。ことし45歳を迎える中で、まだまだ進化を続けています

上与那原選手「2000年に事故にあって、リハビリ感覚で競技用車いすに乗って、クラブのメンバーと知り合って、育てていただいて。仕事もしながら競技もしながら練習もしながら、生活の一部になっていたので、それでそのままずっときています。」

メダルを目指し、練習を積み重ねてきた2人のアスリート。最後に、リオパラリンピックへの思いを聞きました。

仲里選手「僕らにとっては目標でもありますけど、『生きがい』と言いますか、『目指す場所』と言いますか、本当に今やっていることのすべてを注げる場所だと思っています。最後には胸を張って帰ってこられるように、メダルをかけて帰ってこられるように頑張ってきます!」

上与那原選手「3回目の大会なんですけど、1回目では取れて2回目では取れなくて、3度目の正直という形で『再出発のスタート地点』だと思っています。必ず最高のパフォーマンスをして、登るべきところに登りたいと思います。」

取材をしていて、2人ともに準備万端といった様子で、メダルへの期待が高まりました。ぜひメダルをかけて沖縄に帰ってきてほしいと思います。