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「私の願いは爆音の差し止め」34年間 訴え続ける思い

第3次嘉手納爆音訴訟、この裁判で、34年前の第1次訴訟から原告として騒音被害を訴えてきた女性がいました。上間記者のリポートです。

原告団の一人、佐々木末子さん。1982年の第1次訴訟時から、嘉手納基地の騒音被害を訴え続けています。

佐々木さん「この頭の後ろが痛くなるようなですね、そんな感じのあれですので。

記者(飛行機が飛んできて)「また飛んできましたね。いつもはあれよりも大きい音が?」

佐々木さん「そうですね。轟音ですね。連続的に3機編隊で連続的に飛んでいくのも結構ありますので。あの轟音は耐えられない音ですね。」

佐々木さんの住むうるま市昆布は、武器や弾薬などを運ぶ天顔桟橋や、陸軍の貯油施設などが近くにある場所で、嘉手納基地からもたらされる「うるささ指数」85の区域となっています。

佐々木さん「ワ―ッと(軍用機が)轟音で飛び立っていって、この音が切れないうちにまた次の飛行機が飛んでくるというですね。考え事が出来ないんですよ。静かに考え事が出来ない。いらいらする。病的なイライラじゃないかと思うぐらいの飛行機に対するアレルギーが出てくるんですね。飛行機の音だけがずっとこの中に残っているんですよ。」

きょうの裁判。裁判所前にはおよそ300人が集まりました。これまでの訴訟では、損害賠償は認められたものの、飛行差し止めについては退けられてきました。2万2000人あまりの原告が願うのは、ただ「静かな夜を過ごしたい」ということ。

佐々木さん「住んでみないと分からない。そういう意味では国側が理解しがたい物が、やっぱり私たちの周辺にあるんだなというのがですね。本当によくわかりました。」

佐々木さん「当初から静かな空を、静かな夜を、平和な空をという形で思いで提訴してきましたので、その運動がこの5年間、1982年から30年以上も続いていますので、その形になってくれたらと思います。これが一番希望です。」