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フリージャーナリストのジョン・ミッチェルさんがアメリカの情報公開制度を使って入手した公文書。1993年7月に作成されたその文書には「キャンプキンザーの有害物質による汚染の可能性」というタイトルがつけられていました。

Q+リポート 県民が知らない汚染の実態01

1945年から73年にかけて米陸軍はキャンプキンザーの海岸沿いに大量の危険物質や廃棄物を貯蔵していた。化学物質はベトナムから船で戻されてきた殺虫剤や殺鼠剤、除草剤などで砂浜のそばにある屋外の不用品置き場に置かれていた

ジョン・ミッチェルさん「たくさんの驚くべき事実がありました。衝撃的な内容でした。1945年から70年代半ばにかけて、キャンプキンザーには、多くの除草剤、殺虫剤、様々な化学薬品がありました。これらの化学薬品は海に流れ出ていました。」

1975年1月、キャンプキンザーで起きた環境汚染を報じた紙面があります。記事にはベトナムから不用品として送り返されてきた化学薬品やオイル、バッテリーが入ったドラム缶、木箱などが野積みされていて、破損した容器から中身が漏れ出し、土壌を汚染していると書かれています。

ミッチェルさんが入手した資料にも当時のことが書かれていました。

Q+リポート 県民が知らない汚染の実態02

1974年12月19日から20日にかけてキャンプキンザーの不用品置き場の海岸で魚が死ぬ出来事が起きた。

アメリカ陸軍は汚染物質は殺虫剤のマラチオン、クロルデン、DDT、ディルドリン、そして枯れ葉剤エージェントオレンジに含まれるダイオキシン、高濃度のPCBなどと指摘した。

当時、キャンプキンザーのそばの海や川で魚が大量に死んでいるという一報を聞き、急いで現場に駆け付けた男性がいました。元那覇市議会議員の大城朝助さんです。大城さんは当時、県庁の職員からある情報を入手していました。

大城朝助さん「噂としては、ベトナムで使っていた枯れ葉剤の材料がベトナムから引き揚げてきているという話があった。私もニュースか何かを聞いたんですよ。それですっ飛んできた。」

Q+リポート 県民が知らない汚染の実態03

大城さんは、その後も、ベトナムから不用品が沖縄に送り返されているという情報を耳にするたびに現場に足を運び、ついにショックな光景を目にすることになります。

そこには正体不明の薬品が野ざらしのまま放置されていたのです。

大城朝助さん「結構ありましたよ。厚い段ボールみたいなものに、プラスティックのビニールに入っている薬がたくさんあり薬が転がったりして壊れていて倒れたり散らばったりしていたからどの程度あったかわからない。」

公文書には、アメリカ軍が青酸カリを中和し暗渠に流したこと。ヘドロをキャンプキンザーの中に埋めたことまた、殺虫剤は容器を詰めかえ、金武町のゴミ捨て場に捨てたことなど県民が全く知らない所で汚染物質が処理されていた実態が記録されていました。

またさらに驚く事実も。この事件から10年以上経った1986年、また魚が死ぬ事態がが発生。その原因として、浦添市が港湾建設事業のために掘削を行ったこと、つまり、危険な薬品が埋められていた土地を掘ったため、さらに被害を広げていたことが指摘されていたのです。

Q+リポート 県民が知らない汚染の実態04

ジョン・ミッチェルさん「米国政府は沖縄二度と化学薬品を貯蔵しないと言っていましたが、これはウソでした。1980年代から1990年代にかけて、米軍はキャンプキンザーをホットスポットと呼んでいました。」

今年5月、県からも興味深いデータが発表されました。県が2月にキンザー周辺の河川で調査したところ、極めて高い数値の鉛が検出されたと言うのです。そしてこの発表をきっかけに、県が1970年代から日米合意のもとおよそ40年以上にわたりこうした調査を続けていたこともわかりました。

県民もほとんど知らなかった基地やその周辺の環境汚染。しかし県はこれが過去の事件と関係しているのか断定しておらずまた汚染がいつまで続くのか、解決のめども立っていません。