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「カーン、カーン、カーン」

家々に時を告げる、鐘の音。読谷村、高志保。公民館の屋上から鐘の音が響く光景は、終戦間もないころから続く、日常の一コマです。

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宮平哲雄さん「戦前はね、太鼓だったみたいです。太鼓で合図したみたいです。戦後は太鼓じゃなくでこの酸素ボンベになってるんですね」

高志保に住む、宮平(みやひら)哲雄(てつお)さん、73歳。アメリカ軍が廃棄したカラのボンベを鐘として再利用する字(あざ)は幾つもありましたが、高志保は、この鐘を鳴らす習慣が残る、唯一の集落だと語ります。

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宮平哲雄さん「もう廃止したらどうかという提案もあるんですが、周りはあれ大事だから、残しておこうと。これは集落の文化財だからと。文化財としてみているんですね」

当時の光景を今にとどめるこの鐘の物語は、宮平さんが中心となって編纂した高志保の字史にも収録されています。私たちは、字史に記された戦争の記憶を辿るため集落を案内してもらいました。

現在読谷村の主要道路となっている県道6号線。ここは、戦前は多くの住宅が軒を連ねた集落の一部でした。畑を無残に敷きならすブルドーザーは家屋も破壊。字史には写真などとともに、苦しい戦後を逞しく生き抜いた住民の証言も収録されています。

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「戦前(食糧増産で)植えてあった芋を、戦時中、戦後に皆が堀った。誰が植えたのでもない、誰の畑か関係なし、全部皆のもの」

読谷村では、字独自では入手が困難な資料を提供するなど、こうした各字の字史編纂をサポートしてきました。

読谷村立図書館館長泉川さん「よその市町村に比べて、上陸地ですので、結構写真残してる」

読谷村立図書館館長の泉川さんは、他の市町村よりもアメリカ軍が残した資料が多い読谷村では、学術的な価値の高い字史の製作も可能だと指摘。さらに、字だからこそできることもあると言います。

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泉川さん「読谷村の場合チビチリガマというのがあるんですが、集団自決があってなかなか口を開くのが難しいところがあったんですけれども。字史の親しい方々が調査に行くもんですから、割と心を開いて、調査に参加してもらったということがあります。」

泉川さんは、難しい資料の収集は自治体に任せ、字では今しか聞くことの出来ないこと、同じ字の人同士だからこそ聞ける戦争体験の聞き取りに力を注いで欲しいと話します。

高志保が詳細な字史を作りあげることができたのは、残された時間は少ないという危機感があったからだと、当時を振り返る宮平さん。

宮平哲雄さん「最後のチャンスだったかなと思いますね。字史作らないと、後輩たちから、先輩たち何していたか、と言われるだろうと思ってました。責任感じましたね。」

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宮平哲雄さん「これは妹ですね」

高志保出身の戦没者284人の名前が刻まれた、「護永の塔」。犠牲者の多くが、お年寄りや幼い子どもだったことを伝えています。この慰霊の塔のように、地域の戦争の歴史を残していくことが、歴史の風化に向き合う私たちの力になります。

宮平哲雄さん「(Qやっぱり残して、伝えていくということが大事?)そうですよね、はい。忘れてしまいますからね、過去は忘れてしまいますから。」