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悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

ベトナムのハワイと言われる観光地・ダナン。戦争中、枯れ葉剤散布の拠点とされていました。いまはアメリカ軍基地跡地の深刻なダイオキシン汚染が問題になっています。

ダナン枯れ葉剤被害者の会 ファン・タン・ティエン副会長「ここはダナン空港です。米軍の枯れ葉剤を運ぶ飛行機が集まっていました。

悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

戦争中はここで枯れ葉剤が保管され、航空機に積み込まれていました。ベトナム国防省とアメリカ国際開発局は戦後37年が経過した2012年からようやく除染活動に乗り出していますが、すでに汚染は広がっていました。

市内には枯れ葉剤の被害者が5000人いると推定されています。

悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

ティエン副会長「戦争の直後、ダイオキシンの被害はほとんど知られていなかったため、この辺では普通に暮らしていました。魚をとって野菜を植えて普通に暮らしていました」

島袋夏子記者「ダナン空軍基地のそばの池です。行政ではこの池の汚染の可能性も高いということで、釣りをしないよう指導しています」

しかし、この日もここで釣りをしている男性がいました。

島袋夏子記者「何をしているんですか?」『アヒルにあげます』

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私たちは郊外に住む2つの家族を訪ねました。グエン・ティ・ハインさんは31歳。小学校の高学年から体に異変があらわれました。

グエン・ティ・ハインさん「骨が痛み出して、だんだん悪くなっていったんです」

長女のハーさんには重い皮膚疾患があります。

グエン・ティ・ハーさん「4,5歳のころから症状が出始めた。小さいころに小さいぶつぶつがあって、それがだんだん大きくなってきたんです」

父・ザオさんはアメリカ軍のゴミ捨て場近くで働いていたとき、そばの池の水を飲んだあと失神しました。写真には片足が大木のように肥大し、変形した姿が写っています。

ゴー・ティ・ホンさん「夫は水を飲んですぐ体調がおかしくなりました。そして症状が出始め、やがて寝たきりになったんです」

長女・ハーさんの夫は息子の障害がわかると家を出て行ってしまいました。次女のハインさんは家族4人が病気を抱える中、家計を助けるため朝6時から夜9時まで雑貨店で働いています。

ハインさん「本当に苦しいし、悲しいです」

ホンさん「私の夫も子どもたちも、米軍との戦争の後、こうなってしまったのです。私たち家族は大変です。助けてほしいです」

悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

親たちが年老いていく中、被害者をどう支えていくかも課題になっています。ホアン・ティ・テーさんの夫は戦争中にジャングルの中で枯れ葉剤を浴びました。戦後生まれの息子は14歳で寝たきりになりました。

ホアン・ティ・テーさん「枯れ葉剤の影響だと聞いたときは、怖くなり、大変なショックでした」

テーさんの娘にも精神障害と歩行障害があります。子どもたちの介護と生活に追われる日々です。

テーさん「40年間、子どもたちが病気になって大変ですし悲しいです。皆さんに現状を知ってもらい、支援してもほしいです」

悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

枯れ葉剤汚染は対岸の火事ではありません。地中から100本のドラム缶が見つかり、ダイオキシン汚染が発覚した沖縄市サッカー場。QABがおととし沖縄市の土壌調査報告書のデータをダイオキシンの専門家に見てもらったところ、枯れ葉剤と一般農薬に汚染されたダナン空軍基地周辺の田んぼに似ているという指摘もありました。

悲鳴をあげる土地  ベトナム編(2)  枯れ葉剤被害者の声

ダナン枯れ葉剤被害者の会は去年沖縄を訪れ、サッカー場を視察していました。沖縄の現状にこう警鐘を鳴らしています。

ティエン副会長「沖縄の状況は20年前のベトナムの状況と似ています。ダイオキシンの危険性と汚染の拡散を防ぐ方法が周知されていない」