※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

おととし行われた県の調査で、県内には沖縄戦関係の慰霊塔が440基確認されています。しかし、全体のおよそ1割、39基は今後、管理が難しくなると考えられています。その最大の理由が、戦争経験者の「高齢化」とそれを引き継ぐ後継者不足です。この問題をどうにか解決しようと動き出した同窓会があります。

戦後69年 シリーズ慰霊の日(3) 慰霊碑の存続には

糸満市米須にある「ずいせんの塔」

沖縄戦当時、「瑞泉学徒隊」として県立首里高等女学校の4年生61人が動員され、その半数、33人が戦死しました。この慰霊塔には、戦争で亡くなった少女たちの名前が刻まれています。

新元貞子さん。慰霊塔を管理する「瑞泉同窓会」の会長を務めています。

新元貞子さん「おととしぐらいから、(同窓会員が)本当に減少しつつありますから、同窓会の総会という言葉を懇親会に変えようということで、毎年それは開催しています。」

同窓会41期生の大川トヨさん。戦争当時、学徒隊に動員された大川さんは終戦間もないころを今でも覚えています。

戦後69年 シリーズ慰霊の日(3) 慰霊碑の存続には

大川トヨさん「前はね、これ最初にこういうの(同窓会を)やらないときはねシーミーの時に同級生で重箱作っていきましたよ。(戦争で)生き残った人28名だったけど、調べたら半分しか生きていないけど、またその半分も外国に行ったり、現在生きているのは、10名もいないはず。」

同窓生の高齢化。県の調査によると、県内にある慰霊塔のうち約1割が今後管理が難しくなると考えられています。このままでは、ずいせんの慰霊祭も開催できなくなる。「無縁仏にしてはいけない」瑞泉同窓会は動き出しました。

新元貞子さん「瑞泉の塔の慰霊を守ってくれる人、継続できる方たちを探さなくちゃという思いからサポート隊を作ってはどうかという声がありましたので」

1999年、同窓会や遺族会の親族が中心となり、「サポートの会」が結成されました。

新元貞子さん「だんだんその声を聞かれた方が「一般でもいいですか」と声がかかって、瑞泉の塔に思いを寄せて下さる方があればどなたでも」

戦後69年 シリーズ慰霊の日(3) 慰霊碑の存続には

結成から3年後には県外からの参加者も増えていきました。「無縁仏にしてはいけない。」その思いは、世代を超えて確実に広まっています。

大川トヨさん「(慰霊祭には)ちびたちも来ますよ。たくさんいつまで続くかね?これは分からないけど、有難いと思っている。」

戦後69年 シリーズ慰霊の日(3) 慰霊碑の存続には

新元貞子さん「(先のことは)なんとも言えませんけど、そのままずっと続けて頂いたら、有難いなと思っているんです。(若い世代には)人生において立派なことをやるには、是非これから平和を守り続けて生きてほしいなと思います。」