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戦後、沖縄の平和活動に尽力した中村文子さんが27日、呼吸不全のため99歳で亡くなりました。中村さんの半生を振りかります。

1フィート運動の会の事務局長として20年間に渡って中心的な役割を果たしてきた中村文子さん。中村さんは、19歳のころ尋常小学校の教師となり、多くの教え子を戦場に送り出しました。

2005年5月25日の放送で中村さんは「私の首筋に幻の矢が飛んでくるの。」「お前たちに教え込まれた娘や息子たちはかえってこないじゃないか」という唸り声をあげるのそんな錯覚をね。それにさいなまれたの」と話していました。

戦後は、そんな後悔の念にかられ、平和を希求する心と戦争に反対する行動力を子どもたちに教える必要があるという強い思いから、平和教育に携わってきました。2013年解散した1フィート運動の歩みの記念誌に、中村さんはこう記しています。

「私たちが語り継いだ沖縄戦の実相を戦争を知らない若い人たちが私たちの気持ちを真摯にうけとめ、これを発展させていただくよう願ってやみません。これは、私の最後のお願いです。」

中村さんの訃報をうけ関係者からは惜しむ声があがっています。ひめゆり記念資料館島袋淑子さんは「(ひめゆりの塔に来て)教え子の顔をじっと見て名前をさすったりして、最後は泣き出したしてしまうことが多かったです。いつもごめんなさい。ごめんなさいねっておしゃっていました。」

一フィート運動の30年の記念誌をまとめた編集委員の石川元平さんは「すごく安らかな表情だけれども先生の気持ちを十分承知しているだけに、安らかにお眠りくださいって言えませんでした。

先生の思いを引き継いでまだまだがんばりますよ。」と話します。中村文子さんの告別式は、29日午後4時から浦添市のいなんせ会館で行われます。