※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

Qリポートです。沖縄戦から68年を迎える今年、未だに家族の元に帰ることができず、土の中に眠る骨があります。国は沖縄戦で発見される遺骨のDNA鑑定を始めていますが、多くの住民を巻き込んだ沖縄戦にも関わらず、いまだに民間人のDNA鑑定による身元の特定はできていません。

開発が進み町並みが変わる一方で、戦争の記憶をどう次の世代に語り継げば良いのでしょうか。

去年10月、新都心を新たに結ぶ那覇中環状線が開通しました。ここはかつて68年前の沖縄戦の激戦地だった場所です。

News Photo

1945年5月、現在の新都心「おもろまち駅付近」はアメリカ軍がシュガーローフと呼んだ、今の那覇市の貯水タンクと真嘉比地区にある、ハーフムーンの二つの小高い丘をめぐるわずか7日間ほどの攻防によって、日米双方に約5000人の戦死者が出たと言われるほど戦闘は熾烈を極め「死体を踏まずに進撃するのは不可能だった」というアメリカ兵の証言も残っています。

具志堅さん「変わりましたね」

沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん。2009年から約1年間、多くの人の手によってこの場所で200体以上の遺骨を掘り出しました。すっかり変わってしまった風景を前に思いがよぎります。

具志堅さん「確かにそこに住む人間にとっては便利になったと思うんですけどね。でも何かと引き換えにしたのかなと思ってね」

News Photo

戦争の傷跡・記憶が開発によって消えてしまったのではないか・・・。那覇市は今年度予算で、この場所の一角にある公園に記念碑を建て平和教育に役立てる計画です。

遺骨収集も済んだこの場所ですが、具志堅さんは今も残る傷跡を見つけ出します。

具志堅さん「わかりますかね?あたって変形しているのが。この場所がアメリカ軍が真嘉比に突入する時の進入路なんですよ。まだ残っているんですね~」

地表に半分以上むき出しになった銃弾。さらに・・・

News Photo

具志堅さん「お椀型のこのひっこみというのは、これは着弾痕なんですよ。砲弾が飛んできてそこで爆発した時にできたクレーター」

迫撃砲によってできた直径1メートルあまりの穴。68年前の戦争の記憶は今なお、土に刻まれています。

具志堅さん「そのことによって、ここにいた人達が殺されたということも知って欲しいですね」

具志堅さん「今、生きている人達ですら、沖縄戦というのが遠い過去の話になっていますし。じゃあ我々は二度と戦争に巻き込まれないかというふうに問われたら、沖縄の現状はそうじゃないです、いつこう何というか沖縄戦の悲劇が繰り返されてもおかしくないようなものが今、作られつつあります」

News Photo

那覇市内の道路脇にあるうっそうとした丘を登る具志堅さん。すると、そこには野ざらしになった骨が・・・。去年10月、発見した遺骨です。下あごには白い歯が一本今も残っています。歯の様子から、骨は若者ではないかとみられています。

具志堅さん「今まで私たちが遺骨収集をやっていて、名前の(書いて)ある遺品を持っている遺骨というのは兵隊ですら5%ありません。住民にいたってはまったくゼロです。そうなったら住民が(遺族の元に)帰る望みというのは、もう本当にDNA鑑定しかないんですよ。」

約23万人が命を奪われた沖縄戦ですが、厚労省が2003年度から行っている戦没者遺骨のDNA鑑定によって身元が判明したのは元日本兵の一人のみ。現在県内から18件の遺族が鑑定の結果を待っていますが、なぜか2年あまりの歳月をかけながら、いまだに鑑定結果は出ていません

具志堅さん「遺族の方からは、遺族がいなくなるのを国は待っているんじゃなかと」「遺族が歳をとって意思表示できなくなる時期がもうすぐ来ます。その前にどうにか帰してあげたい。これは国としては是非やらなければいけないことだと私は思っています。また国はこのことを避けて通れないです」

News Photo

戦争を起こした責任をどう国は解決するのか。戦後処理の一つの、そして大きな問題がまだ解決されていません。これまで厚労省の発表では戦没者遺骨のDNA鑑定によって、気候の条件があるもののシベリア抑留者の836件の身元が判明していますが、県内では1件だけです。

しかし、具志堅さんは「今からでも遺骨が帰ってくる可能性はある」とDNA鑑定への希望を持っていて、多くの県民にもまた、希望を持って欲しいと県内からの声を集めています。