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日本復帰40年の節目に、様々な世代が楽しむジーンズを通して平和を訴えようと、沖縄出身の職人が手がけたジーンズが販売されました。制作者の思いを取材しました。

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5月15日復帰の日、一本のジーンズが発売されました。名付けて「チャンプルージーンズ」。復帰の歴史と平和への思いが織り込まれています。企画したのは、石垣島出身で大阪のジーンズ製造販売会社に勤める玉那覇有治さん。

玉那覇有治さん「少しでも若い子達が本土復帰について考えてくれたりとか、本土の人が本土復帰を考えてくれたらという思いを込めて」

縫製を担当する国吉遊さんです。

国吉遊さん「自分がやりたい。最後は勝手ですけど、自分以外縫えんと思って」

国産ジーンズ発祥の地・岡山県児島で10年修行を積んだ国吉さん。復帰の年に生まれた国吉さんにとって、チャンプルージーンズほど制作意欲を掻き立てるものはありませんでした。

国吉さん「(考える)きっかけになってくれればいいですね。(復帰について)最初はわからなくても、デザイン的なものから入ったとしても全然問題なくて、そこからこの意味はなんだろうなとか」

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2人が施したデザインから、復帰前後の沖縄が見えてきます。

ヒージャーの革で作った革パッチには、復帰当時のリチャード・ニクソン大統領と佐藤栄作首相のイラストが描かれています。沖縄をはさんで友好関係を示しているような2人ですが…。

国吉さん「友好関係なのかお互いうちに秘めた思いを隠しながら取り繕っているのか。(沖縄を)お互い渡さないって言っているのか、お互い共有しているのか、人によって考え方が様々だと思う。いろんな見方ができると思います」

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ポケットの裏にはAサインのマーク。Aサインとは復帰前アメリカ軍が飲食店に与えた公認マークで、刺繍で表現することに国吉さんはこだわりました。

国吉さん「沖縄にもこういう手作業の文化があるんだよって発信できて、またここが盛り上がっていけるお手伝いができたらいいかなって思って」

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沖縄市コザ地区。今では復帰前後の栄枯盛衰がにじむこの地区ですが、復帰前、アメリカ軍関係者を相手に繁盛した店舗の1つに刺繍店もありました。

1957年、刺繍の技術が認められ、群馬から技術入域者として沖縄に移り住んだ麦倉巴さんは、当時をこう振り返ります。

麦倉巴さん「作業服なんかにネームタグつけるじゃないですか。USアーミーとかUSエアフォースとか。そういう仕事がずいぶんあったみたいで、刺繍屋っていっても我々のようにデザインじゃなくて、ネームだけってのがいい手間賃になったみたいです。1日で20ドルくらい仕事したんですよ、たった1日でね」

平均月給がおよそ20ドルだったこの当時、盛況ぶりが伺えます。しかし刺繍文化も日本に復帰し、ドルショックも起こり、次第に客足が減って、今では数件が残るのみとなっています。

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国吉さんが刺繍をお願いしたこちらのお店は、昔ながらの手作業が信条。その作業には1ヶ月を要しました。

トップ刺繍・小橋川令子さん「(A:ご主人は作業はしんどそうでしたか?)もう疲れはてて、きょうからぐったりしてます」

国吉さん「コンピューターだったら早いんです。本当に手だから大変だと思います。手作りにこだわったものだから。あのジーパン屋って思いながら、ミシン踏んでいると思いますけど、だけどそういうのが含まれて1つのものなので」

ジーンズを通して、復帰への思いとともに沖縄の技術力も全国に伝えたいと考えています。

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BLUE FIRST STAR・上原店長「お待たせしました、ありがとうございます」

お客さん「こういった隠れたこだわりですかね、こういったところたまらないですね」

上原店長「おれも1年前に話して、ああそういえば来年そうなんだって感じて。佐藤栄作ってどんな顔だっけかなとか調べたり」

お客さん「こういう40周年の記念に、そのときにしかないものじゃないですか、こういったものを通じて沖縄の復帰をちょっとでも考えられたら、沖縄もよくなっていくのかなと思います」

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国吉さん「平和って言いながら、基地があることとか単純なことなんですけど、誰も答えきれないじゃないですか。全てがクリアになるわけじゃないと思うんですけど、平和に向けて一歩でも二歩でも前身していけばいいかなって」

平和への願いが一本のジーンズを通して、紡がれていきます。