2012年3月6日 18時40分

Qリポート 証人尋問から見えてくるもの

3月5日、辺野古の環境アセスやり直しを求める裁判の中で、オスプレイの配備計画を日米合意の当初から知っていた、当時の防衛庁の実務担当者が証人として出廷しました。

様々な不備が指摘される今回のアセスの中でも、オスプレイの配備を意図的に国が隠したとなれば、それは重大なアセス法違反。その鍵を握る高見沢氏とはどんな人物なのか、振り返ります。

現在、防衛研究所所長を務める高見沢将林氏。県出身の国会議員がたびたび追求してきた人物です。

外務防衛委員会・山内徳信議員「横文字になっていて読みづらいんですが、ミスタータカミザワとなっております。こういうオスプレーを伏せておいて、環境アセスの方法書から準備書に、全くオスプレーのことが書いてございません」

高見沢「当時からオスプレーについてはいろんな可能性が議論されていたというところでございますので」

1996年のSACO合意の直前、日米のワーキンググループで日本政府がオスプレイをどう扱うか、アドバイスを求めていたことがわかりました。

そしてこれがSACO最終報告の5日前にミスタータカミザワから在日米軍に渡されたと書かれている、いわゆる「タカミザワ文書」。沖縄に説明するためのオスプレイ問答集まで検討されていました

・MV22の騒音はどれくらいなのか。・1500メートルの滑走路とはオスプレイの配備を想定しているのか(望ましい回答)「海上施設は現在普天間飛行場の移転先として考えられたものなので、あくまでもヘリポートである」

SACO合意直前ににここまで想定されながら、最終合意の発表には、オスプレイの「オ」の字もありませんでした。

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1996年の普天間の返還が決まった年に、ここまでオスプレイが語られていたのは驚きですよね。でも正式発表は去年なんですね。

今のアセス手続きは一義的には2007年の方法書から始まって、調査、準備書、年末の評価書。この5年の動きなんですね。去年の6月に政府はアメリカ国防総省の発表を受けて「正式に沖縄にオスプレイの配備を発表した形。だから評価書にしかかけなかったのは仕方ないと言う立場です。でも、2006年5月、沖縄に駐留するアメリカ軍のトップ、ウェーバー四軍調整官がこう発表しています。

ウェーバー四軍調整官「現段階で我々はオスプレイの沖縄への配備を2014年から2016年までの間に行う予定です」

はっきり配備すると言っています。それが2006年ならば、当然、2007年からのアセスに含むべきでは?。

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そのとおりですが「政府として正式には聞いていない」と、このときもかわしていました。でも実際には辺野古の海上闘争が続いた2005,2004年やサミットよりもはるか前の、アメリカ兵の暴行事件の翌年の1996年に日本から「オスプレイ想定問答」が出ていた。結局、この15年間、沖縄県民を欺いてきたのではということで、その経緯をよく知る高見沢氏を証人に呼んだわけです。

担当の山城記者です。原告の期待値は高かったですね。

山城記者「裁判を始めてからずっとアセスの手続きの不備を指摘しながら、国を相手に地道に裁判を続けてきました。中でも一番大きな『オスプレイの後だし』については、一歩も引けない覚悟で望みました。昨日の様子をご覧ください」

真喜志好一さん「在日米軍司令部に対して『隠しておいてくれ』と。『沖縄の人にオスプレイの配備は隠しておいてくれ』という趣旨の文書を持っていった人の尋問ですから、大変に楽しみです」

加藤裕弁護士「国会でものらりくらりとかわしてきた人物を、市民の側が引きずり出して、法廷という真実を述べ証言する場で明らかにさせていくということは、大きな意義があるのではないかと思っています」

山城記者「沖縄の弁護団もこの加藤弁護士を中心に『チーム・タカミザワ』を結成して、一時間で何を引き出すか念入りに組み立てました」

(再現)加藤「あなたはSACO合意の実務担当者でしたね?」高見沢「その通りです。私以外にもたくさんの人が関与していました」

加藤「SACO合意以前にオスプレイの配備について議論になっていたのは確かですね?」高見沢「議論の定義にはいろいろあるかと思います」

加藤「議論はあったけれども最終合意ではオスプレイについて触れなかったということですね?」高見沢「少なくとも1996年当時、オスプレイは開発中で、どういった配備をするかに至る議論ではなかったと思います」

加藤「96年は開発段階だった。しかし2005,6年には、アメリカはオスプレイの量産体制に入りましたよね?」高見沢「2005年9月からだったと思います」

加藤「それを方法書に記載しなかったのはなぜですか?」高見沢「直接の担当ではないのでお話しすることはできません」

山城記者「核心の質問になると、このように証言を避けていたんですが、本人の名前が書かれた『オスプレイの想定問答集』への関与については、加藤弁護士が厳しく迫りました」

(再現)加藤「オスプレイの想定問答を作った記憶があるかないかについて、山内議員に対し、そういう議論をしていたと答えていますね」高見沢「そういう意味ではない」加藤「そう答えているじゃないですか」高見沢「国会の質問にはいつもそのまま答えるわけじゃない」加藤「はぐらかすということですね?」「浜田大臣はタカミザワ文書はアメリカの内部文書と答弁していますが、その通りなんですね?」高見沢「ちょっと、暑いので・・クーラーが・・・」

加藤「この5枚はすべてアメリカ側の文書という認識でいいですね?」高見沢「その質問は承認された尋問事項を外れますので答えられません」

尋問が終わって高見沢さんに、最初からオスプレイと書いたほうが良かったのでは?とぶつけてみたんですが、回答はもらえませんでした。

加藤弁護士「こう言う日米の安全保障、防衛協力の問題になってくると、このアセスの民主性というものがないがしろにされる。踏みにじられて台無しにされてしまうということが明らかになったのではないか」

山城記者「さすがに、そつがない、いわゆる『官僚』という印象でしたが、県民の疑問にはできる限り答えたいという誠意も感じられず、まだ隠そうとする姿勢が裁判官の目にどう映ったのか。やはり、もっと先に情報を開示して民主的にアセスを進める道もあったのではという疑問は残りました」

それにしても、外交や防衛の実務担当の役人が、県民に追及される構図は見たことがない。

山城記者「防衛問題でアメリカと交渉に当たる官僚が、少なくとも県民よりもアメリカの事情を優先させた。それは高見沢さんに限らない『彼個人の問題』ではないことだと思いますが、こういう仕事が県民を苦しめるのでは、と後日、問われる構図自体、今までなかったものです。その意味では画期的な出来事だと思いました」

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