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先月6日、県や宜野湾市などに伝えられた普天間基地へのオスプレイの配備。日本政府は長年、配備の可能性を否定してきましたが、14年も前から警戒してきた男性がいました。彼らが日米の公文書を地道に集め、分析した中から見えてきたこととは。

その事実は1枚のファックスで伝えられました。

『地元へのお知らせ(口頭)。防衛本省から米国政府がMV22オスプレイ配備に関連し、以下の趣旨の発表をしたとの情報を得ましたのでお知らせいたします。海兵隊は、軍全体でCH46を段階的に減らしMV22に換装するプロセスにある』

真喜志好一さん「あたかも今、日本政府がアメリカ政府から聞いて、わかったというようなジェスチャー、お芝居の始まりだと思いました」

こう話すのは、建築家でジュゴン裁判の原告でもある真喜志好一さん。真喜志さんは1999年、元大学教授たちとともに「SACO合意を究明する県民会議」を発足。日米の公文書を調べる中で、ある仮説を立てました。

それは普天間基地や北部訓練場の返還などが発表された「SACO合意」の裏側にアメリカ軍基地の機能強化を狙った思惑があるのではないかということです。

こうした中、真喜志さんは、アメリカ軍のホームページである写真を見つけます。オスプレイが飛ぶこの場所が北部のある場所に似ていたのです。

真喜志さん「(SACO合意)その直後、米軍が高江の北側にある宇嘉川という河口を訓練場として、新たに手に入れている。その宇嘉川の河口そっくりの地形で、オスプレイがゴムボートを下ろす上陸訓練をしているイラスト」

この場所は現在、ヘリパッドが建設されている東村高江区のすぐそば。調べてみると、新しいヘリパッド建設にもオスプレイありきの計画が浮かび上がりました。

日米の議事録に書かれていたオスプレイに必要な着陸帯は直径45メートル。高江に建設中のヘリパッドと同じ大きさなのです。

真喜志さん「オスプレイの訓練場を造ると発表すると、沖縄の人が反対するので、北部訓練場の北半分を返す、そこにあるヘリパッドを南に移すよと」

真喜志さんはジュゴン裁判で、アメリカ政府から証拠として提出された資料に決定的な記述を見つけました。

1992年に作られた普天間基地のマスタープラン。19年も前の資料にすでにオスプレイの配備を見越して駐機場の位置が記されていたのです。

また、普天間基地の返還と代替施設の建設が発表される直前の1996年の日米協議の議事録。そこには次のようなやり取りが記録されています。

『日本政府は沖縄県民にV22についてどんな風に話をしたらよいかアドバイスを求めた。V22については何も言わない。V22について具体的に伝える。現在使用している機種に合わせて建設し、のちアメリカ側がV22の配備を発表する時に延長する』

その1カ月後に防衛庁からアメリカ軍に出された文書にはオスプレイの配備計画などを質問したうえで、なぜか回答の方法についても、次のような内容が望ましいと示していたのです。

『海上施設は現在普天間飛行場で配備されているヘリコプターの移転先として考えられたものなので、海上施設はあくまでもヘリポートである』

代替施設の計画に、オスプレイの存在を想像させないよう求めたようにも受けとれる記述。実際、この後のSACOの最終報告書から、オスプレイの文字は消えていました。

真喜志さん「草案の中では、海上基地には従来のヘリコプターとMV22オスプレイの部隊を配備すると書かれているわけです。草案の中身がSACO報告書ではヘリコプター部隊と短距離で離発着できる航空機と書きかえられる」

政府はこの後15年間もオスプレイの配備を否定してきました。そして先月、北沢防衛大臣は次のように語りました。

北沢防衛大臣「装備の変更の経過からすると、極めて異例の事前の発表ということで、当然、日本と沖縄の配慮があってのことだろうと思います」

なぜ、これほどまでに日本政府はオスプレイの存在を隠し続けたのか。それはオスプレイが抱えている安全性の問題、そして普天間返還の裏に見え隠れする思惑を隠す意図がったのではないかと真喜志さんたちは考えているのです。

真喜志さん「SACO合意に書かれているように、沖縄の普天間軽減という枕詞がついています。それがそうでなく、最新鋭の輸送機を配備するために普天間の閉鎖や北部訓練場の返還があるのがバレバレになるじゃないですか」